遠雷(第110編)

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Tの個展

治多 一子

 先日、恩師の亀谷先生にお会いするために上京した。絵をやっている学友Tの個展を見ることも兼ねて。
 その日、東京在住の級友四人と、連れだって銀座のS画廊に出向いた。二階に二十数枚のTの絵が架かっていた。
  大きくないその絵は、ほとんど、バックが青色を主体とし、いずれにも、鳥が、あるかなきかに描かれてあるだけだった。二、三枚はバックが茜(あかね)色に塗られている。これというものが何一つ描かれず、ただ全体を刷毛(はけ)で一様に塗っているだけである。
 だが、それをじっと見詰めていると、彼女の深い心の底からの叫びが聞こえ、澄んだ色調から、崇高な何かに魅せられるような気がしてくるのだった。
 しばらくして一人が、
 「ステーションビルギャラリーで、絵の展覧会やっているから、ついでに行かない?」
 「それいいの?」
 「そりや、いいわよ」
 五人組は、東京駅にあるそのギャラリーに行った。一〇〇号、一五〇号、二〇〇号など、いずれも大作である。当代一流の中堅画家の作品というのに、私には、その芸術性がトンと分からない。一人が見かねて言ってくれた。
 「あんた、廊下に椅子(いす)があるわよ。かけたら」
 言う本人も、私と似たりよったりの鑑賞力である。一流の人の絵のよさが分からぬ自分が、すごく惨めに思えた。
 その時、奈良教育大の絵の先生の言葉を思い出した。絵を芸術的に鑑賞できないことを嘆く私に
 「あなたが、いいなあと思ったら、それでいいのですよ」
とおっしゃった。遠い昔のことであるが、思い出した途端、元気になった。
 「わあー、この絵にぎやかネ」
 「これさっぱり分からんわ」
 「こんな大作画くのに、体力いるわネ」
 だが、とうとう心打たれる作品に出合うことなく、ギャラリーを出た。そうして、Tの絵を思い出した。いずれも小品であった。体力のない彼女には、大作は望めそうもない。
 しかし、その一つ一つが、何か私に訴えてくる。胸を病み、ストレプトマイシンで聴力を失った彼女。教壇を若くして去り、以前から好きな絵筆で生きてきた彼女。元来虚弱体質だった彼女の生きてきた歴史。それらがすべて絵に出ていたのではなかろうか。
 その日は、あちこちで個展や、グループ展があった。脚光を浴びていない人たちの作品が、見る人の心を打たないとは限らない。
 私は、明日、同僚と竜在峠を越えあまちゃづる≠採りに行く。峠には霜も降って、もう今年の採りおさめである。あまちゃづる≠ヘ健康によいと聞く。製茶したら、早速Tに送ろうと思う。
 元気になって、心の絵を画き続けてほしいから。

平成元年(1989年)11月8日 水曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第110回)

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