遠雷(第112編)

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父と子

治多 一子

 預かり所から、受け出した自転車に乗り、ものの五メートルも進まないうちに、後輪の異常に気付いた。パンクかなと思い調べたが、釘(くぎ)や鋲(びょう)が刺さっているようでもない。しかしガタガタとして乗れない。
 自転車屋さんに見てもらおうと、心覚えの店に行ったが、その店は跡形もなく消えていた。次に行った二軒目は、喫茶店に変わっていた。三軒目は、モータースになって自転車は扱わないと言う。四軒目は古い雨戸が閉まったまま、やっと五軒目で見てもらえた。主人は、
 「わたしの代で、この商売も仕舞いです。自転車では食べて行けないから、同業者の子は、みんなサラリーマンになっていますよ」
 私はM先生の話を思い出した。
 「ある日、幼稚園に遅れそうになったので、父が送ってくれました。今と違い車のない時代でしたから、父は間に合うようにと、一生懸命自転車をこいでくれました」
 「間に合ってよかったわネ」
と言うと、
 「ところが、幼稚園に着いたら、休園日だったのです。疲れ果てた父は、物も言わず、私も申し訳ない思いで、声も出なかったです。二人は門の前に唯、茫然(ぼうぜん)と立ちすくみました」
 「スカタンな子だったのネ」
と言いつつも、その光景が目に浮かぶようだった。
 「子供心に、地面に映った二人の長い影は、忘れられないです」
としみじみ話された。
 自動車だったら、
 「しっかりしろよ」
の一声位で、そのまま、あっさりと家へ戻るだろう。
 この出来事は、父と子の絆(きずな)を一層深く強く結んだことと思う。
 また、私は別の若い父親の、もう一つの話を思い出した。
 今のように、ふんだんに物のある時代でないとき、父親は、幼い子供のためにと、一生懸命に、鰹節(かつおぶし)を削って、船を作ってやった。子供はその手造りの船で、とても喜んで遊んだという。あの幼い子は、その後、大阪大学工学部造船科を出て、立派な造船技師になっているとのこと。
 簡単に買った玩具(がんぐ)を、もし与えていたなら、その幼な子は、どんな道を進んだことだろう。父親は、自分の夢と祈りをこめつつ、鰹節を削り帆船を作りあげたに違いない。
 ありあまる物質に恵まれた時代に生きられるのは、なるほど仕合わせなことかもしれない。だが、乏しい時代に寄り添うように生きた、心豊かな日々を、人は決して不仕合わせなことと言えないだろう。
 ピカピカに光った自動車が、後から私を追い抜いてI幼稚園の前に止まった。ベンツである。幼児一人が中から出てきた。そして振り返りもせず、サッサと門に入って行った。
 私は、昨日修理のできた自転車で、ベンツの消えた道を通るべく、急いでペダルを踏んだ。

平成2年(1990年)2月21日 水曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第112回)

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