遠雷(第113編)

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おへちゃ讃歌

治多 一子

 佐保路を歩いていると、かつての同僚に出合った。久しぶりのこととて、話がはずむ。と、突然、傍(かたわ)らの子供さんの頭をなでながら
 「この子も、仕合わせですわ」
と言った。遅く生まれた女の子は、もう小学生になっていた。
 「そうね、恵まれた家庭で、両親にかわいがって育てられてるものネ」
 「あら、そうじゃないわよ。この子もおへちゃだから」
 「ええ? 一体、どういうことなの」
 思いがけぬ言葉が返ってきて私は驚いた。
 「あなたは、以前に言ったでしょう。美人は年とると落差がきついけど、おへちゃは変わらないから、お互いに仕合わせよネって」
 言われてみると、思い出した。美人の評判が高かった先輩に街で出会ったとき、まるで西洋のお伽(とぎ)話に出て来る魔女のように、恐ろしいほど変貌(へんぼう)しているのに驚いた私が、連れの彼女に、そんなこと言ったのだった。だが、十年も前のことで、私はとっくの昔に忘れてしまっていた。
 先日も、大臣夫人になった直後に、テレビに出た司葉子さんの顔をみて
 「けったいな顔になったなあ」
 「美人は、みんなあんな顔になるのやで」
と、人々が話しあっているのを聞き、美人であればあるだけ、その容色の衰えは人一倍現れるものだと感心したことである。
 その点ブスは、それ以上衰えようがないから、とお互い勝手なことを言い合ったのを思い出した。
 それにしても、十年も前の言葉を、あんなにしっかり覚えられていたとは。
 今日のことは、偶々(たまたま)、私が直接聞かされたから分かったようなもの、これは氷山の一角で、私が不用意に発した言葉で傷ついた人、その傷を何時までも持ち続けている人、さらには、その傷の痛みを増幅し続けている人さえも何人も居るかもしれない。
 彼女が、素直に言ってくれたお陰(かげ)で、私は思わぬことに気づかされた。
 今日、東京の友達に速達を出しに商店街の郵便局に出かけた。既に先客の自転車が何台も並んでいたので、仕方なくポストの前に自転車を止めた。そこへ一人の初老の婦人が手紙を投函(とうかん)しようと近寄って来られた。私の自転車が邪魔をしているのに、怖い顔をするどころか笑顔で、懐かしげに話しかけてこられる。
 「治多先生ですね。先生に高校一年のとき習いました。少しも変わっておられませんね」
 少しも変わっていないということは、私が押しも押されぬおへちゃということではないか。
 花のいのちは短くて、されど、おへちゃはさにあらず≠ナある。

平成2年(1990年)3月28日 水曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第113回)

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