遠雷(第115編)

掲載年リストへ   題名リストへ  前編へ  次編へ

歯を食べた

治多 一子

 「残り少ない歯、どうして、好き好んで食べてしまったのよ」
と、電話口での友の声、
 「それは、言ってほしくない」 と私。前歯に少し滲みる感じがしたので、歯医者さんに治療してもらった日のこと、食卓の上の餅(もち)が堅くなっていたので、電子レンジにかけて食べた。
 私たちの育ったころは、お米を大切にしなさい。八十八回の手間をかけて作られるのだからと、よく言われた。そういうわけで、お餅一つでも古くなったからとて捨てられないのが習性になっている。
 外側は堅いなあ≠ニ思いながら食べ終わった。しばらくすると、口許が何だかおかしい。
 あれっと思ったが、もう後の祭り、治療中の歯が無くなっている。餅とともに食べてしまったのだ。
 餅と飴(あめ)は気を付けよと、人が言うのを何度も聞いていたのに。
 友の言ったように、本当に残り少ない自分の歯だった。さ細な注意もタカをくくると、大事に至るというものだろう。
 Yに、この話をすると、ムチ打ち症の体験を話してくれた。軽四輪を運転し、ほんの二、三分行ったとき、猛烈な勢いで後ろから乗用車に追突された。一瞬気を失ってしまったという。入院し、治療を受け無事に退院した。
 だが、随分経(た)ってから、耳だれが出だし、喉(のど)に魚の骨が絶えずひっかかっているような状態になり、記憶がもうろうとし、簡単な足し算、引き算も出来ない有様が続いたという。
 幸いにも彼女は、ムチ打ちになった人の体験話を真剣に聞いて、心に留めていた。症状に応じ的確に治療を受け、今は生け花、茶の湯にと優雅な生活を送っている。
 人づてに聞いた話であるが、知人が単車に乗っていて、ライトバンに当てられ転倒した。幸い、かすり傷を負っただけだった。大したこともないと思い、その後も元気で働いていた。
 だが一週間後、突然に後遺症で亡くなった。そのように、後遺症の恐ろしさを、しっかりと心に留めていたなら、適切な治療を受け生命を落とすこともなかっただろう。家族は大黒柱を失い、その日を境に寂しい日々を送っていると聞く。
 運命の分かれ目とは、まことに恐ろしい言葉である。しかし、その恐るべき分かれ目も、もとを正せば、本当にちょっとしたさ細なことにあるのではないだろうか。小事を大事にしてこそ、大事な物も喪(うしな)わずに済む。
 今日も、歯医者さんで、つぎ歯を入れてもらいながら、食べたあの歯は、もう永久に戻らないと思った。

平成2年(1990年)7月29日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第115回)

掲載年リストへ   題名リストへ  前編へ  次編へ

©2008 Haruta Kazuko All Rights Reserved.