遠雷(第117編)

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砂を食(は)む婦人

治多 一子

 先日、友人たちの集まりがあった。たまたま徘徊(はいかい)病のテレビ番組を見たというものが何人もいて驚かされた。その時、だれかが言った。
 「Sさんが、砂を食べていたのですって!」
 さらに
 「あの人は、家を出て行っては、帰る道が分からなくなるということよ」
 しっかり者≠ニいう言葉は、Sさんのためにあるぐらいだと、日ごろから私は思ってきた。老人ぼけしたら困るからといって、始終あちこちの講座を聞きに行ったという人である。私は凄(すご)いショックを受けた。
 側(そば)で聞いていた友達は、
 「あんた、ハレー彗星見たあと、家へ帰る道間違えたやろ。もうボチボチなってるで」
 あのSさんでさえ…と思うと、
 「冗談きついよ」
と言えない私である。
 直後、車の中で、かつての同僚から戴(いただ)いたテープをかけた。七つの海に活躍する商船士官を目指す、高等商船学校の歌。青春を謳歌し、天下、国家を論じた旧制高校の寮歌を聞きながら、涙がとめどもなく流れて来た。
 若さにあふれ、輝かしい未来を見つつ、素晴らしい青年時代を送った人たちが、今や老人性痴呆(ちほう)症になり、往年のキラキラする瞳(ひとみ)の輝きもなく、帰る家さえ忘れ、無心に砂を食べたりする人になっているのだろうか。そう思うと、実に悲しく、この人生が空(むな)しくなってきた。
 私は、しっかり者のSさんと一、二度言葉を交わしたことがあるだけに、そのショックは長く続いている。
 そんな話をしていると、理科の先生から、次のことを教えていただいた。老人になっても、脳の働きは案外低下しない。米国のR・キャッテルという学者は智能を「流動性能力」と「結晶性能力」に分けた。流動性は本来の頭の良さで、三十代から衰える。結晶性のほうは、学習や経験によってみがかれていく。
 また
 「活動の場にある老人の能力が落ちないのは、脳神経細胞の数が減っても、刺激を伝える神経の突起が増え、肩代わりするためでしょう」
と、朝長正徳・東大脳研究所施設教授(神経病理)は説明される。
 くだんの友人に言うと、
 「そうか、やっぱり何か真剣にやらんなんなあ。あんたも毎週、少年ジャンプやマガジンだけ買(こ)うて、読んでたらあかんで」
 アルツハイマー病の話から、気がめいっていた私だったが、前途に光明が見える思いがした。なるほど、ベアリングの鉄球は磨耗はしても、錆(さ)びることはないわけだ。友達ともども、神経の突起を増やさなくてはと、しみじみ思う今日このごろである。

平成2年(1990年)11月11日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第117回)

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