遠雷(第118編)

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ある上棟式

治多 一子

 「えー、もうこんなに出来てるで」
と驚きの声をあげた友。車の中から前方を見ていた私も、びっくりした。昨日まで鉄骨だけだったのが、もう、ちゃんとアパートらしく外観が出来上がっているのである。
 「どうして、こんなに早く出来るのかしら」
と思わず言った。
 「他の場所で作っといて、パタパタとはめ込んで行くねんもん」
と友。そう言われれば、近所でも、何もなかった平地に二、三日後に家が建っていた。
 それにひきくらべて、同じ建物でありながら文化財の解体修理は、どんなに大変なことか。私のお茶の先生のお寺も、その例に洩れない。
 解体された壁に使用されていた竹を、ていねいに水で洗い、傷んだり折れたのを除いて、一部新しいので補修する。屋根の土、壁の土も、何百年前のを、また使うべく、足で何度も何度もこねておられた。
 柱も傷んだところを別にして、出来るだけ昔のものを使うように工夫してある。箱根細工を思わせる繊細で複雑な修理がほどこされている。そこには磨きぬかれた高度な技術が要求されるに違いない。
 新しいもので作るのではなく、古いもの、壊れやすいものを生かすことが、どんなに難しいものか、素人にも容易に想像できることであった。
 そんな神経を使う作業に、働いている人たちは意外に明るい。その姿は使命感に燃えて、さわやかでさえあった。一人の方にお話をうかがった。
 「この仕事も私たちの代だけです」
 心なしか、一抹の寂しさがうなじに感じられた。
 先日、午後、歌声が聞こえた。ドリームランドからかな、と思った。だが近くに聞こえる。そして、思わず独り呟(つぶや)いてしまった。
 「ああ、そうだ。お寺さんの上棟式があったのだ」
 カラオケのセットを用意してこられたのだろうか。拍手する人、歌う人、すごく楽しげである。音楽に弱い私でさえ、うっとりとするほどの歌声だ。困難な仕事を一年有余も続けて、上棟式に漕ぎつけたことの喜びが、伝わってくる。
 平成元年に始まり、平成三年秋までかかるというこの仕事。完成し、再び同じ人たちの喜びの歌声が、佐保路に流れることを祈念する私である。
 このお寺の渡辺始興の襖(ふすま)絵を見せていただいたことがある。江戸時代、当時一流の画家だったと聞く。近衛家の厚い庇護があったればこそ、素晴らしい作品が描かれたという。
 芸術や文化の仕事は、もともと手間暇かける割には採算の合わないものである。
 古文化財を守るためにも、後継者を養成する公的な機関で、一層積極的に取り組んで欲しいと思う。
 急造で驚いているアパートに、ひょっとすると、明日にでも入居者があるのでは。

平成2年(1990年)12月23日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第118回)

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