遠雷(第121編)

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わたしの物差し

治多 一子

 「一太郎」「花子」などなど、何のことやらさっぱり分からない言葉が、私のまわりの人たちの会話によく出て来る。戦前、国定教科書に出て来た一太郎やーい≠ェ復活したのかと思ったら、ワープロのことだった。取り残され、所在なく侘(わ)びしい気持ちになった。一大決心をして、至って親切な仲間に教えてもらうことになった。
 「ローマ字で打ちこむ方が、覚える数が少なくてすむ」
とか
 「五十音の方が、なじみやすいのではないか」
 いろいろアドバイスをもらった。そして、電源を入れるところから始まる練習が二、三日続いたある日、私は京大の上野先生のお部屋へ伺った。室にはコンピューターが何台も置かれてあった。
 「先生は、ローマ字か、カナか、どちらでなさいます?」
と、うれしがりの私は、つい言ってしまった。
 「英語ですよ」
 アッサリコンとおっしゃった。なんとまあ!!
 「チョット、この時は、Tを押すのだったかしら。それともDだったかしら」
 そして、またしても
 「アレー、Sはどこ、たしかKは、このあたりだった」
などと、キーボードの位置を求めて、わめきまくる私とは、全く次元の異なる話である。我ながら、あわれでいたわしくみじめ≠ノなりかけた瞬間、そんな私の思いを察知されたのに違いない先生は、
 「わたしは、少し早いですよ」
とおっしゃりつつ振り向かれて、ニッコリされた。その爽(さわ)やかな笑顔に、すっかり感動し、みじめ≠ネる思いがふっ飛んだ。仄聞(そくぶん)するところによると、大学院時代に習得された、教授の入力のスピードはメチャ早いとのことである。
 友人に、この一件を話すと、
 「あんたは本当に情けない人間やな。いつも自分の物差しでしか物事を見ようとしない。世の中には、いろいろな物差しがあるんやで」
 本当にそうだ。担任していた生徒の、指導要録の記入事項が、私の物差しで測ったため客観性に欠ける憾(うら)みがなかっただろうか。また知りあった人たちの、人となりを計りえず、袂(たもと)を分かってしまった場合も、あったのでは…。
 ワープロに関する私の力を見限ってか、仲間は
 「必要なときは、私が打ったげますよ」
 「ワープロ買いなや。主人が買い替えたら古いのあげるからネ。五年はかかるけどネ」
 心温かい先生、ヅケヅケ言う友、親切な仲間にめぐりあえた幸せを思いつつ、K寺院の参道を歩いた。ふと見上げた境内の、花みずきの白い花びらが、青空のもと風にゆらいでいた。


※ 仄聞:ほのかに聞くこと。間接的にちょっと聞くこと(広辞苑 第三版から)

平成3年(1991年)5月12日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第121回)

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