遠雷(第122編)

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当たっていたくじ

治多 一子

 先日、オイル交換も兼ねて、紀寺のMガソリンスタンドに給油に行った。十数年来ずっと行っている店である。アルバイトの少年が小さな箱を持って来た。何かのサービス週間だったのであろうか。
 「くじです。取って下さい」
 中にチューインガムがたくさん入っていた。手前のを取って、くだんの少年に渡した。私は元来くじ運が悪い。せいぜい荷物の番か、掃除が当たるのが落(おち)である。どうせ当りっこないと思っている。ガムの上紙をめくって、その少年は、案の定
 「ハズレました」
と言った。やっぱりと思った。途端に、すぐ側で給油をしていた店長は、彼の手もとをチラッとのぞき
 「おい。当たったるよ。賞品あげ」
 ワァー、珍しやのおん事よ=B吃驚(びっくり)して、景品の小さな箱を受け取った。
 また、所用でYさんの家へ行った。玄関での私の声を聞きつけて、二人のお孫さんが走り出て来た。年上のまあちゃんが、手に小さなぬいぐるみの人形を、しっかりと握っていた。
 「パパがネ、パパがネ、これ当てたの」
 年子のみきちゃんも、負けず声をはりあげ、
 「パパ当てた」
と言って踊っている。
 とても欲しいと思っていたのだろう。商店街の売り出しのクジが当たったのである。久しぶりに父親に連れられて出掛けたこの幼女たちにとって、欲しかったかわいい人形を当ててもらったのである。
 幼年期に受けた強烈な印象が、断片的に思い出となって、遠く過ぎ去った一コマとなるのである。こんなに、飛び出して来て、踊って報告するこの幼子には、きっと、うれしい父の思い出として鮮明に残ることだろう。
 それにつけても、幼女たちの父親が、もしガソリンスタンドのあの少年のような相手に出くわしていたら、どうだろう。当たっているのにスカだと言われ、この幼子の幸せの思い出は、無残にも葬り去られていたのに違いない。
 「ワァーすてき!! いいね」
と心から喜んであげた。
 先日、店長が横で見てくれなかったら、私のもらったあの賞品の行方はどこに。ちょっとした注意、誠意といえども、おろそかにしないことが、幸せづくりのコツなのでは、と思ったことだった。
 賞品は、当節はやりの使い捨てカメラであった。かつて、私は四国の法然上人ゆかりの法然寺を、友達とわざわざ訪れた。その折使ったカメラは、撮影したフィルムごと高松で盗(と)られてしまった。ガックリ来た私は、以来カメラを持たない。
 今年は長野・善光寺さんの七年ごとのご開帳の年にあたる。私たちは今月参拝する。
 「あんた、そのあたりのカメラ、下手でも割りとよく撮れるねんで。しっかり撮ってや」
と同行する友に、ハッパをかけられる私であった。

平成3年(1991年)6月16日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第122回)

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