遠雷(第130編)

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教わった薬草

治多 一子

 中宮寺研修会館落成法要の日、お茶席入りの順番を待っていると、一人の恰幅のいい青年僧に声をかけられた。
 「治多先生ですね」
 「そうです」
と、彼は
 「僕、奈良高校で先生に数学習いました。数学は何も覚えていません。覚えているのは、先生がアンチ巨人だと言われたことだけです」
 ひょっとすると、彼は猛烈な巨人ファンで、いまだに根に持っているのかと思い
 「あなたは巨人好きなの」
と聞くと
 「僕も巨人嫌いです。先生が巨人が良い選手ばかり集めているから嫌いだといわれ、僕も同感だと思ったのです」
 怒っていたわけでもないと知り、ホッとした。ある生徒が
 「先生の友達が野つぼにはまったという話だけ覚えている」
とか。私の耳に達するのは、数学は覚えていないとの声のみ。全く泣けてくる。
 その晩、東京から電話があった。私たちの仲間で作っている大和薬草研究会報を、まとめて出版したいとの話である。
 よく効く薬は薬害があると見聞きし、また体験もしていることから、仲間で研究会をやり出したのである。東京の友人も薬害でひどい目にあっているので、毎回会報を郵送している。それが、出版関係の人の目にとまり
 「とてもいいから、本にして、多くの人に知らせたい」
ということだった。
 研究会のメンバーの一人になったのは、私が植物に関心があったからだ。それは、私の習った先生のお蔭である。女学生のとき、生物の先生が授業中
 「植物の名前を知りたい人は、朝の間に、わたしの机の上に、紙片をつけて置いておきなさい」
とおっしゃった。先生とは本校から付属女学校へ教えに来られた、植物分類学の久米教授であった。
 その時教えていただいたのが、ジゴクノカマノフタ(キランソウ)、ウツボグサ、カラスノエンドウ、ハハコグサ、カキドオシ、ヘクソカズラ、メハジキ、カナムグラ等々であった。これらは薬草である。先生に教えていただいたことが、今、会報を通して、人の健康に役立っている。実にありがたく、うれしい。
 久米先生に教わったことのように、優れた教育者の教えは、それを受けたものの年齢とともに、意義と深みが増してくるのである。
 それにひきかえ、私は何とお粗末なことか。

平成4年(1992年)4月19日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第130回)

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