遠雷(第◆編)

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吉田山

治多 一子

 超弩(ど)級の方向オンチの私は、アチコチ尋ねまわって、やっと京大キャンパスE館第31号室にたどりついた。この教室は三階にあり、階段教室だ。
 私は本日ここでの講義を聴くことになっていた。教授がお見えになるにはまだまだ時間があった。一番後ろの席に着いて、ホッと一息入れ、何気なく右手の窓外を眺めた。
 青葉若葉の樹々(きぎ)の新緑が、目に鮮やかに迫って来る。柔らかい日差しを受けて美しい。私は紅葉より新緑が好きであるから、すごく奇麗(きれい)だなあと思った途端、ハッと気がついた。
 あゝ、これは吉田山なんだ
 こんなに目の前に見るのは初めてである。そして、すぐ映画『きけわだつみのこえ』の一場面を思い出した。暗くなった小高い丘の上で学徒兵が、たった一人立っていた。そして彼は、
 第三高等学校(旧制)逍遥の歌
『紅萌ゆる岡の花
 早緑匂う岸の色
 都の花に嘯(うそぶ)けば
 月こそかかれ吉田山』
を空に向かい、万感の思いをこめて歌っていた。
 映画は作られたものではある。だが私には、昭和十八年十二月一日の現実にあったことと重なってしまうのだ。
 文科系学徒の徴兵猶予は停止となり、その日、全国一斉に文科系学徒が、ペンを銃に持ちかえて出陣して行った。当時、私たち女子学徒は全員、明治神宮外苑での、その壮行式に参列したのである。
 出陣学徒を代表した東大生が、
 「…この代々木原頭から祖国のために出陣す…生(せい)らもとより生還を期せず…」
との悲痛な訣別(けつべつ)の辞がのべられ、雨の降りしきる中、白線帽の第一高等学校(旧制)生徒を先頭に次から次へとゲートルを足に巻き銃を肩にかついだ若い学徒の行進が続き、グラウンドを一周し、神宮外苑をあとに、そのまま戦場へと赴いた。私たちは涙をこらえ、身じろぎもせず見送ったのである。
 祖国の土を、再び踏むことのかなわぬ人が多かった。
 今日、この教室で講義を聴く学生は、あの日の出陣学徒と同じ年ごろである。が、当時のことは到底想像できないだろう。
 教授とて、出陣命令で学業半ばにし、突如このキャンパスから戦場に赴いた若者のあったことを、単に学園史の一コマとしてのみ、ご存じなのでは?
 窓ごしに、雲一つない青空のもと、新緑に映える吉田山を指呼の間に見ながら、往時を思い、あふれる涙を禁じ得なかった。

平成4年(1992年)5月17日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第131回)

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