遠雷(第132編)

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まぬがれた奇禍

治多 一子

 三白草が一面に白い葉を見せている参道で、ひろ子さんらに出会った。今日はお寺での定例の写経の日だった。私も以前
 「一緒にしましょうよ」
と、お茶の仲間に誘われたのだが
 「どうせ続かないから、途中で止めると、仏さま気悪くされるからパス」
と言い、今日に至っている。
 ひろ子さんのご主人は、鮎(あゆ)釣りが唯一の楽しみとのこと。だが彼女は、生物の命をとることに、いつも罪を感じていた。
 ある時、お寺の方から
 「ご主人の業障消滅をお祈りなさい」
と教えていただき、そのお寺さんで、定例の毎月二十一日の写経会に、すぐ参加した。彼女はそれ以来、家でも毎日毎日、一日として欠かすことなく熱心に写経を続けていた。
 先日のこと。例によってご主人は釣り仲間と車で鮎釣りに出かけられた。が、運転ミスで山道から落ちてしまった。
 フロントガラスは割れ、屋根をはじめアチコチがグチャグチャになり、かろうじて乗って帰れたとのこと。だが、運転していた人も助手席のご主人も無事だった。
 落ちた車を引き上げて下さった村の人たちは
 「ここで落ちた人は、みんな大けがするのに」
と凄く驚いていたとのこと。
 今日、ひろ子さんとニコニコ笑って話し合っていた中年の婦人も、息子さんが車を運転していて、ハンドルの切りそこないか居眠り運転かで、岩壁に激突した。
 車は見るも恐ろしいくらいに大破した。点検に来た巡査さんは、かすり傷一つさえもない息子さんを見て、全く信じられなく、あ然としたそうである。
 この二人は、一日も欠かすことなく熱心に写経を続けていたとのこと。恐ろしい奇禍(きか)を無事にまぬがれて、本当によかったなあ、と心から喜んであげた。
 そんなこと全くの偶然で、それぞれの人が助かったのだと、言えるかもしれない。だが、同じお寺で写経している人の家族の方が、ともに助かる確率は非常に少ない。二人は、お陰さまだと心から感謝しておられる。
 ずっと以前、私は女学校の先輩に連れられて、カソリックの神父さんのお話を二人で聞いたことがある。
 「この世には、人の力では、どうしようもない不思議なことがあります。それが神さまの力なのです」
 その折なーんだ、いまいちだなあ≠ニ納得出来なかったことを、ふと思い出した。
 二人は家族の人が助かったのは、仏さまのお力だと思ったのに違いない。彼女らは今日の写経会で謙虚に、仏さまに感謝の気持ちをこめ、写経してきたのだろう。

平成4年(1992年)8月9日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第132回)

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