しぶ皮煮
治多 一子
若い女の先生が、家の庭でとれたと言って、たくさんの栗をもって来られた。早速みんなで分けて、それぞれ貰(もら)って帰った。粒の揃(そろ)った見事な栗である。私は久しぶりに、しぶ皮煮をしてみようと思った。手間がかかり、面倒であるけれど。
早速実行し、友人や仲間に持って行った。私は、みんなに褒めてもらおうと、期待したのである。だが、
「このしぶ皮、厚すぎるわネ」
「なかが、柔らかくてグチャグチャや」
「甘味が頼りないわよ」
と、サンザンである。
私はもう一度煮ようと思って、手の爪のところが痛くなるのも我慢して鬼皮をむき、批判にこたえようと、やはり二日がかりで仕上げたのである。今度こそ褒めてもらえるわい≠ニ心中大いに期待して、みんなに試食してもらったのである。が、案に相違して
「これ甘すぎるわよ」
「栗の風味が、全然ないわよ」
と、またしても不評である。
私はここで降りれば惨め過ぎると思い、三度目に挑戦することを決め、みんなの批評を十分に考慮して作った。私としては会心の出来ばえと、ひそかに好評を期待したのである。だが、
「最初の方が、おいしかったわ」
「私は二回目の方が好みにあう」
と、またしても駄目。そして
「あんた、ショウコリもなく、ようやるワ」
との決定的な言葉に、ガックリ来た。
しぶ皮をとって茶色に染まった手を見つめていると、晴紀君の言葉が頭をよぎった。よく出来た彼は、一流大学の工学部で一番難関とされていた学科を受験した。合格出来ると思ったけれど、残念ながら不合格だった。
後日、学校へ連絡のあった彼の成績は、他の学科だったら、どの科でも当然合格出来る高得点であった。
それを知った、親や友人たちが、
「他の学科だったらフリーパスだったのに、惜しいことしたな」
と言った。晴紀君は私に
「僕は、むつかしいあの学科へ行こうと思って一所懸命やったから、この点が取れたので、やさしい他の学科へ行くのだったら気がゆるみ、今の点は取れなかったです」
とケレンも未練もなく、さわやかに言った。自分自身のために精いっぱいやったという、この若者に私は頭の下がる思いをしたものだ。あの折の晴紀君の目は輝いていた。
それを思うと、他人を意識し、感心してもらおうと、あさましい下心を終始持ったことを恥ずかしく思った。
彼は今、大阪の高校の教師である。確固たる信念をもって、生徒の指導にあたっている、と私は思う。
平成4年(1992年)11月29日 日曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第135回)
随筆集「遠雷」第83編
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