遠雷(第136編)

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最後のお公卿さま

治多 一子

 「お早うございます」
と言いながら、お勝手口のガラス戸をあけて中に入ると、香ばしい匂いが、お台所に満ちていた。思わず
 「ワア、おいしそうなコーヒーの匂い」
と言ってしまった。と、食事の椅子(いす)にかけておられた尼僧さんは微笑(ほほえ)んで
 「あら、そば茶ですのよ」
とおっしゃった。ああ、私の嗅覚(きゅうかく)は一体どうなっているのやら。途端に、これでは宇陀の山岡さんとの話はパア≠セなと思った。
 過日、彼女から
 「香道習いたいのですが、一緒にしませんか」
との誘いをうけた。二つ返事でOKしたのである。以前、北小路先生から香道の話を承っていて、ぜひ習いたいと思っていたから。
 先生は、縁あって私が入会させていただいた互評会の当時の会長様であった。互評会は、もともと神官、僧侶(そうりょ)の方々、また風雅人たちが集まり、和歌の道にお互いに切瑳琢磨(せっさたくま)するためにつくられた会で、月に一回開かれ、今月で一千二百三十八回を数えるから、百年も続いている会である。
 会長様だから、和歌にご堪能(たんのう)なのは当然である。私がある時
 「先生は、いつから和歌をお始めでございますの」
とお伺いしたら
 「字が書けるようになったときから」
と、いとも、さらりと仰言(おっしゃ)った。五、六歳の幼児のときに、もう既にお始めになっておられたわけである。
 先生は多趣味で、しかもいずれも、ご造詣(ぞうけい)が深かった。アメリカの大学で教鞭(きょうべん)をお取りになられたこともあり、英語はもとより仏語にもご堪能であった。会のとき何気なく仰言るお言葉の端々にも、深い教養がうかがわれた。
 会員の中で一番ガサツな私であったけれど、一度として、いやなお顔をなさることなく、穏やかな口調で、それでいて真剣にいろいろなことをお教えいただけた。香道もそうした折にお伺いし、ぜひ習いたいと思ったのである。
 互評会の会場は先生のお住居で、宇治川の流れを眼下に見るお部屋だった。
 先生は先年お亡くなりになった。あの柔和なお顔を、もう拝見できなくなった。
 互評会の人々は口をそろえて言う。
 「あのお方こそ、最後のお公卿(くぎょう)さまだったわね」
 車の中で待っている友に、そば茶の一件を言うと、すかさず
 「香道なんて、ド厚かましい、鼻の手術が先決じゃないの」
と言われた。だが私は、めげずに習おう。北小路功光先生の思い出に繋(つな)がるから。

平成5年(1993年)1月17日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第136回)

随筆集「遠雷」第55編

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