孝男君の言葉
治多 一子
美子さんは大学受験生をもつ若いお母さんである。今日も今日とて
「受験生というのに、一体いつまで寝ているの、サッサと起きて勉強したらよいのに、と思い、つい言ってしまったら『そんなこと言うと余計寝たる』と言うのよ…」
と、私の顔見るなり、愚痴をこぼす。
志津子さんも、長男が大学受験生である。彼女も
「学校へ行って、みんなと一緒に勉強したら刺激にもなると思うのに、毎日家でブラブラしてるだけで、見ててもイライラするわ」
という。また
「テストの度に『あかんかった』というから、もっと頑張りと言うと、『謙遜(けんそん)ということ分からんのか』と言いかえされるし、どうしようもないわ」
と嘆いて話す。
こんな話を聞くと、私は孝男君の言葉を思い出した。彼は中学時代から、バレー部に所属し、みんなとよく話をし、明朗な性格であった。そんな孝男君が、大学を受験した直後、私に次のように語ったのである。
「試験場で親のことを考え、親の顔を思い出したら、苦しくなって来ました。それで、ボクは先生の顔を思い出したのです」
こんなこと生徒から聞かされたのは、あとにも先にも、たった一回切りであった。
こんなに屈託のない明朗そのもののような孝男君でさえも、親のことを思うと、苦しさに耐えられなかったのだなあと、しみじみ考えさせられたのである。
当時、友人に言うと、
「あんたはマンガの顔してるネンで」
と、ひやかされたのだが…。
孝男君は、その年、かねてからの念願がかない見事合格したのである。彼は、その学部、学科を卒業後、所謂(いわゆる)一流会社に入社し、海外の支店で活躍している。
彼自身、私に言ったことは、とうの昔に忘れていることだろう。そして両親も、わが子が受験の日に、あんな思いをしたことも知るよしもないだろう。だが私には、決して忘れることの出来ない言葉として、今なお鮮明に残っている。
美子さん、志津子さんのそれぞれの子供さんは口にこそ出して親に言わなくても、同じ思いを多分することだろう。
人生には、願う願わざるに拘(かかわ)らず、幾つかの節を越えていかねばならない。受験もまた一つの節である。
入試は目前である。二人とも、節を見事乗り越え、希望の大学に合格するよう心から祈る。
平成5年(1993年)2月14日 日曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第137回)
随筆集「遠雷」第82編
©2008 Haruta Kazuko All Rights Reserved.