遠雷(第141編)

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あの眼

治多 一子

 薬草採集に行った折、山道に一台の車が止まっていた。そして一匹の犬が窓から首を出していた。
 まわりに人影が見えず、寂しがっているだろうと、側(そば)に行き最高に優しい声で「ワンワンちゃん」と話しかけた。
 あとの二人は犬を無視し、先へ行った。その帰りのこと、犬は地面に下りていた。そして、私たちの方に尾をふって寄って来た。
 往きに声を掛けたのは、私一人だけだから、当然私のところに来ると思った。が違う。先頭の私を全く無視、次の令子さんも無視、最後のあき子さんのところへ来て、ムチャクチャに尾をふり、離れない。
 私はてっきり犬の臭(にお)いがしみていると思い
 「あなた、犬飼っているの」 と聞いた。
 「いいや。でも犬好きなの」
 この話を過日、康子さんに話した。彼女は
 「犬は犬好きな人が分かるのよ」。それから
 「金魚でも、自分に餌(えさ)くれる人を、ちゃんと知っていて、他の人が池のところへ来ても集まって来ないのに、私が通るとワーッと寄って来るわよ」
 金魚を飼っていた康子さんに教えられた。そして今日、所用あって再びおとずれた。
 康子さん夫妻は、お寺さんの依頼をうけ昨年、今年と放生会の鯉(こい)をお届けしている。  放生会とは捕獲された魚鳥を贖(あなが)い之(これ)を山野池水に放つ法要である。
 遠く印度では流水長者によって始められ、中国では梁武帝、天台大師智(ちぎ)により放生会が行われ、日本では古く敏達天皇七年六斉日に放生せしめ給うと云う。以後各地、各寺にて盛んに行われている。
 彼女の鯉も、御本堂の前でありがたいお経を聞き、そのあと放生池の猿沢池に放たれたのである。
 康子さんは、
 「今年の鯉を放ったとき、一匹の大きい鯉が寄って来て、私を見上げたのよ」
 「エー、そんなことあるの」。さらに彼女は言う。
 「あれは昨年放った私とこの鯉よ」
 「鯉って、みな同じ形をしているし、どうしてそんなこと分かるのよ」
 その時、仕事から帰って来られたご主人は
 「金魚でも、自分とこのだとすぐ分かりまっせ。家によって色が少しずつ違いますよ」
 康子さんは
 「あの鯉やせてたわ。餌あたらないのネ。かわいそうに。明日餌もって行ってやるワ」
 彼女の眼(め)に涙が光った。
 「私を見つめた、あの眼、とても懐かしかったわ。私とこの鯉の眼よ」
 あの犬も鯉も、もとより言葉を交わせない生きものは、それだけに自分をいつくしみ、いとおしむ人の心を素直に感じ、率直に表現出来るのであろう。

平成5年(1993年)6月27日 日曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第141回)

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