こんな筈では
治多 一子
青空の下、ソフトボール部員が練習している。日焼けした彼女たちの元気な練習風景を見て、ついボールを握りたくなった。休憩の時間になったので、打撃の指導をしておられた顧問の先生に
「ちょっとボールを受けさせて下さい」
と頼むと、気持ちよく
「キャプテン先生の相手しなさい」
と言って下さった。
彼女は昨年授業に行った組の生徒で、気の優しい子である。グローブを借りた。彼女は捕りやすいようにボールを投げてくれた。だが、素手では簡単に捕れるのに、グローブをはめると、なかなか捕れない。何度も後ろや横にそらしてしまう。
辛うじて捕って、相手に投げようとしても、まともに投げられない。小石とか、手に握り込めるようなボールだったら、何とか狙う方向に投げられるのに……。右に行ったり、左に行ったり、果ては短かったり、
「行きさきはボールに聞いてよ」
という始末。相手は、とても気の良い生徒だから、文句も言わず、右に左にと走ってくれる。
こんな筈(はず)ではなかった。私はかつて、奈良市の代表として県体のソフトボールに出たのである。当時はチームに男子は最高三人まで加わってもよかった。私たちのチームには、万能選手と言われた同僚の化学の先生と、立教大学で名捕手でならし、後日、同大学で監督をした奈良市の運動具店主との二人がおられた。そして女子は、私を除き全員が奈高のソフトボールのOBというチーム。楽しく元気で、みんな一緒に練習したものである。
県体の当日、あの広い橿原球場で
「スポーツマン精神に則り云々……」
と右手をあげ選手宣誓もした私である。だが、長い年月の末には、こんな体(てい)たらくである。
その夜、私は何気なく手もとの一冊の本を開いた。それは昨年京大の数学教室のある教授が
「ゼミにいらっしゃい」
と言って下さって聴講した時の本である。教授が出張され、代わりにこられた先生の仰言(おっしゃ)ったことを書き込んでいた。
「やったら出来ると、やって出来たと違う」
と。いみじくも言われたものである。私はソフトボールを投げられると思った。捕れると思った。だが事実は違った。思惑と現実は異なるとの先生のお言葉は、学問の世界だけに限らず、世に処する上にも意義深い示唆を与えていると思う。
× × ×
澄んだ秋空のもと、再度キャッチボールに挑戦しよう。やって出来たというためにも。
平成5年(1993年)11月1日 月曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第144回)
随筆集「遠雷」第58編
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