遠雷(第145編)

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京の旅

治多 一子

 「写真出来たのですって」
 顔見るなり康子さんは言った。私たち三人が、桂離宮に見学に行ったときの写真である。あのときカメラを持っていた一人が、何枚も撮ったのである。みんなで一枚一枚手に取っては、好天に恵まれた、あの日の光景を思い出していた。
 京都駅から乗った個人タクシーの運転手さんが、三人が奈良から来たと知って
 「ひところ、お客さんを明日香に、よく案内したものですよ」
と、懐かしそうに話された。私たちも何だか親しみを感じた。離宮に着き、暫(しばら)く待つと見学の時間になった。われわれの班担当の方は親切で、説明も丁寧で分かりやすい。
 「ワアー奇麗(きれい)」
 「あら、凄い」
などなどと、感嘆の言葉を幾度も洩らした。
 「四季それぞれにいいですよ。またいらっしゃい」
の挨拶(あいさつ)を後に、離宮を去った。
 桂からタクシーを拾おうとしても、なかなか来ず、右往左往していた。停留所に書かれた時刻から何分も遅れてバスが来たとき、私たちは生憎(あいにく)、バスの反対側の場所にいた。
 私は車の間隙をぬってバスに乗った。が、二人は依然として同じ場所に立ちつくしている。バスは発車し、私は車中から手を振り、二人のドヂっ子ちゃんと涙の別れをした。
 「ああ、一人で京都駅まで行くのか…」
と嘆いた。バスは十数メートル行って止まった。赤信号になったのだ。見ると、二人が前ドアを開けてもらい、乗り込んで来た。
 私たちは、思いがけぬ運転手さんの親切なはからいに、心から感謝した。
 また、昼食後立ち寄ったコーヒー店の熟年ウエーターさんの応対の優しさ、そして私たちが店を出るまで、人なつっこい微笑を浮かべ見送って下さった心温まる態度。写真を手にしつつ
 「いろいろ、楽しかったわネ」
と話し合った。
 ふと、私は遠く過ぎし日の、英語の先生のお言葉を思い出した。先生が
 「奈良に君のような人がいたのかネ。卒業後、上京したら、遊びに来給え」
と、クラスのみんなの前でおっしゃった。先生が大和路で出会われた人たちの印象は、いずれも悪かったのだろう。
 私たちは、この度、いい人たちに巡り会えて、桂離宮の見学は本当に楽しかった。
 古都奈良を訪れる人は多い。せっかくのこと、それぞれ楽しい旅の思い出を持ってもらえるように、せめて行きずりに出会った人たちに親切にしたいと、しみじみ思う。
 英語の先生の訃報(ふほう)に接したのは、間もなくであった。上京しても、お伺いする機会は、とうとう私にはやって来なかった。

平成5年(1993年)12月27日 月曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第145回)

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