遠雷(第146編)

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仏教讃歌

治多 一子

 名古屋の級友から年賀状が来た。
 「東京までクラス会に行くのも億劫(おっくう)になってきました」
と書いてある。思い出せば、彼女は去年のクラス会にも欠席だった。
 昨日出会ったお茶の仲間と
 「人間を長いことしてると、何をするのも面倒になって来たわネ」
と話しあっただけに、友の言うのも無理からんなあと思った。
 そして、今日の午後のこと、佐保路のお寺さんの前で、先年亡くなられた同僚のお姉さんに出会った。
 「先生のこと、よく思い出します」
と言うと、とても懐かしそうにされて
 「弟が最初に勤めた学校の生徒さんが、この間、十人お墓参りに来て下さいましてネ」
と、話し出された。
 お聞きしたところでは、沼津の女子高校の同窓会で、先生の亡くなられたことを知った教え子たちは、関東から、わざわざお墓参りに来たとのこと。お寺の前で十時に集合して、みんな揃(そろ)って墓前に参ったのである。
 かつて遠く大和三山が見えたという佐保丘陵に建つ寺院。奈良市街を見下ろせるその本堂で、一人が仏教讃歌を唱うと、皆がそれに和したという。唱和するその声は遠くまで聞こえたことだろう。
 「先生は『自分にきびしく、人には優しくしなさい』とおっしゃったわネ」
などと、それぞれに思い出話をし、位牌(いはい)の前で、みんな大声あげて泣いたという。
 彼女たちは卒業以来、既に四十余年経っている。長い年月を経ても恩師を慕い、遠くから、わざわざ墓参に来た。かくまで慕われる先生は実に素晴らしい教育者だったと思う。
 その話を伺っているうちに、自然に涙がこぼれて来た。そして、ふと私は名古屋の級友に思いが至った。彼女はクラスの勉強家のグルーブの一人で、しかもリーダー格だった。ネアカで、怠け者のグルーブのわれわれと違い三年、四年と二年連続の担任の先生から信頼され、特々に目をかけられていた。
 埼玉県川越からお年を召したその先生が、わざわざ来て下さるクラス会に、彼女は昨年も欠席、そして今年も出席する気配がない。卒業生の墓参の話を聞いてから、なんとも言えぬ寂しい気になった。
 教え子たちから、あんなにも慕われる、かつての同僚は本当に立派な教育者だったことは言うまでもない。が、それにもまして、過ぎし日の生徒に戻り、ひたすら師を慕い、霊前で声を限りに泣いた彼女らは、なんて幸せなんだろうと思う。
 勉強もせず単細胞の遊び人で、担任の先生から信頼も期待もされなかった私らのグループの面々は、母校の地、東京でのクラス会に今年も出席するつもりでいる。そんな私らの方が名古屋の級友よりも、案外幸せなのかも……。

平成6年(1994年)1月31日 月曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第146回)

随筆集「遠雷」第59編

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