優しい金魚
治多 一子
久しぶりに出会った康子さんは顔見るなり
「お預かりしているお寺さんの金魚ネ」
と言い出した。過日、ご住職が
「庫裡(くり)を修繕するので、金魚を置くところがなくなるから、康子さんに預かっていただけないかしら」
と仰言(おっしゃ)ったので、康子さんに頼んだ。早速ご主人とともに、丈夫なビニールの袋に入れて持って帰ってもらったのである。
「何十年と金魚を扱っているけれど、あんなこと初めてよ」
と話し出したので、
「エエ、何が」
と言い彼女の顔をじっと見た。
「取りあえず家の金魚の水槽に入れたの、明日別の水槽に移したらいいと思って」
「どうして、そのまま入れとけないの」
「金魚のイジメというのはヒドイのよ。あとから入って来た金魚をみんなで、ヒレは食いちぎるし、体は突っつくし、時には殺されることもあるのよ」
私は、あんなに美しく小さな魚が、そんなことするとは思いもしなかった。
翌日、彼女は、どうなっているかと恐る恐る見に行ったら、何の異状もなかった。
ところが、それどころか、大分時間が経って金魚を見に行ったお嫁さんが
「お姑(かあ)さん、エライことですよ、家の金魚がお寺さんの金魚に従って泳いでます」
と知らせたので、驚いて彼女が見に行くと、その通りだった。
「色も形も同じなのに、どうして分かるの」
と聞くと、
「お寺さんのは、オレンジ色がかかっているし、人間と同じで、姿、形がそれぞれ違う」
と教えてくれた。
突然、他から来た金魚を、いじめないどころか、それについて泳いで行くなんて、康子さんの何十年もの金魚飼育の歴史に、かつて無かったという。
それから何日も経って、
「お寺さんの金魚で、一尾が、泳げなくて、いつも水槽の隅で仰向きで沈んでいるのよ」
と康子さんは言った。
それを聞いて、
「それは金魚のノイローゼでっせ」
という魚の餌(えさ)屋さんの言葉を思い出した。だが、彼女は浮き袋のバランスをくずしている≠ニ説明してくれた。
それから
「いつも、その金魚を守っているように、あの先頭を泳いだ金魚が、たびたび沈んでいる金魚の上に来てるのよ。きっと餌もやっているわ」
と言い、さらに彼女は
「不思議なことに、小ぶりのお寺さんの金魚が、そのお伴(とも)して、そばでじっとしてるの」
と感じ入っていた。
ご住職にお尋ねすると、
「初めは、そんなことなかったけれど、いつの間にか見守るようになったのよ」
と仰言(おっしゃ)った。
康子さんに告げると、
「きっと、ご住職のお慈悲の心を、あの金魚は戴いたのネ」
と言った彼女の目に光るものがあった。
平成6年(1994年)3月7日 月曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第147回)
随筆集「遠雷」第78編
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