遠雷(第148編)

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年度末

治多 一子

 教職員異動の時期になると、何時(いつ)も思い出すことがある。
 ある時、職場の友人が、
 「ちょっと、S子先生ネ、誰(だれ)やらさんが転勤したとき、赤飯炊いたという噂(うわさ)よ」
 職場で、とてもイヤな上司や同僚がいたとき、その人間のことを「赤飯組」というのだと、ずっと以前に教えてもらった。その人間が、転退職したとき赤飯炊いて祝いたいとの意味だそうだ。
 「まさか、そんなことS子先生するかしら」
 現実に、そんなことするなんて、どうしても信じられない。とはいうものの、物好きな私は本当かどうか知りたくなり、S子先生に、
 「ちょっと、あなた、誰やらさんが転勤したというので赤飯炊いて祝ったと聞いたけれど、本当?」
と尋ねた。と、彼女は、
 「本当よ、赤飯炊いて娘と祝ったわ」
 その先生が転勤したので、もうあんな情無い、嫌な思いせずに済むと、母子家庭の彼女は、独り娘さんと祝ったのだった。
 教科も、校務分掌も違っていたから、彼女から話を聞くまでは、そんな思いをしていたなんて、全然知らなかった。
 我慢強い彼女は、私たちに一言も言わずに耐えていたのだ。赤飯を炊くなんて、よくよくのことだったのだなあと、先刻の友人と胸の痛くなる思いをした。
   ×   ×   ×
 親友とお茶会に行った日のことである。お席入りの順番を待っている時、
 「A校長先生のお家へ、主人がお参りに行っていたのよ」
 その校長先生と、彼女のご主人文雄先生と、私はかつて同じ高校で勤めていたのである。校長先生は、とっくに退職され、元来あまり丈夫でなく、病をえて亡くなられた。
 文雄先生と校長先生とは専攻の教科も異なるし、親衛隊をつくるのを好まれなかった校長先生だけに、特に親しくしておられたわけでない。まして、退職されて何年も経ったのに、わざわざご回向に行かれたなんて驚いた。
 「奥様からの依頼でもあったの」
 「いいや、主人からお参りに行ったのよ」
 ご主人のお父様は大きなお寺の住職だったし、先生も僧侶(そうりょ)として高い位を持っておられた。
 世の中は、えてして、上司である人には、チョンチョンしているが、その人がその座から去ったとき、忽(たちま)ち掌(てのひら)を返す。それが現実である。
 が、文雄先生は違う。とっくに上役で無い人の霊前に、自らの意志で、幾たびかご回向に行かれたのである。本当に徳の高い先生だなあと、頭が下がった。
 先生は先年西化された。お二人はあの世でお話しなさっているだろう。
 年度末になると、赤飯とご回向のこの二つの事実を思い出すのである。

平成6年(1994年)4月26日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第148回)

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