遠雷(第149編)

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応急処置

治多 一子

 友人と二人で、青葉の美しいお寺さんへお参りした。ちょうど出て来られた尼僧さんに、
 「Uさんもう退院されたでしょうネ」
とお尋ねした。Uさんは、ここの信徒さんで、リウマチがひどく、手術のため大阪の病院に入院されたと聞いていた。
 「それが、まだですのよ」
 「エっ、だいぶ前に入院されたのでしょう」。
 私は、てっきりお家に帰っておられると思っていた。
 「体の自由がきかず、ベッドから落ちられたのですって。助け起こそうとされたご主人の指の爪(つめ)で傷がつき、そこが化膿(かのう)して、大きな穴になって、なかなか治らないのですって」
と尼僧さんが教えて下さった。
 あんないい方が、そんな苦しい目に遇(あ)っておられるなんて、本当にお気の毒と思った。改めて、バイキンの恐ろしさを知った。そして、突然私は、昨春の出来事を思い出した。
 私と康子さんと二人で山あいの清流に育つ薬草、セキショウを採りに行った。川の中の石は苔が生えていて、とても滑りやすい。彼女は谷川での採集に慣れていて、まるで猿のように身軽で能率的な動きをする。
 それに負けじとして、私は大きな石で、いやというほど向こう脛(ずね)を打った。昔から「向こう脛を打つと笑って死ぬ」と聞いていただけに、その痛さは格別だ。またたく間に、卓球の球のように腫(は)れた。
 こんなになったことは、全く初めてである。傷口から血も出て来た。痛くてたまらない。といって、塗る薬もなく、ただ傷口を見ていただけである。と、康子さんは、すぐ携帯しているバッグから、消毒薬とバンソウコウを取り出し手当てをしてくれた。
 彼女は、やや病弱であることで、いつも救急品を持っている。また、ご子息がお医者さんであるという環境から、私は素早い応急処置をしてもらえたのである。
 採集した薬草を入れるビニールの袋と、食料とを持っていただけのお粗末な私である。もし、彼女の手当てがなかったら、長い道を歩いているうちに、きっとバイキンが入ってUさんのようにひどい目にあっていたことと思う。
 歩き疲れたとき、向こう脛に時たま、かすかな痛みを感じることがある。これが、あの時の後遺症かなと思いながら、助けられたことを感謝している。
 もうそろそろ薬草「アマチャヅル」採集の時期になる。昨年Uさんに進呈したら、とても喜んで下さった。今年も採集したら差し上げようと思う。少しでも元気になっていただけるようにとの祈りをこめて。

平成6年(1994年)5月31日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第149回)

随筆集「遠雷」第77編

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