遠雷(第151編)

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構えぬ心

治多 一子

 バス出発の時間待ちの間に、仲間の一人に
 「あんた『教師のいやらしさ』があらわに見えてる」
と言われた。ショックである。彼女は日ごろからそう思っていたらしい。
 私は、Y先生から前日聞いた話を思い出した。最初に勤めた中学校で、初めて行った教室の生徒が、先生の顔を見るなり
 「お前は敵か味方か」
と聞いたという。
 「障害」を持った中学生たちである。彼は人一倍の情熱をもって教育にあたろうと思っていたから、
 「もちろん、味方だよ」
と答えた。だが、
 「敵だ!!」
との言葉が帰ってきた。
 何カ月後、突然、授業参観に来た人があった。その人とは一面識もない。もちろん、生徒たちも知るよしもない。参観者は、まっ白の頭髪で、顔はまっ黒、深い深いしわ。
 「まるでライオンのようだった」
とY先生の初印象。その人は、教室に入るなり、生徒たちに「おいで」と手招きされた。Yさんに「お前は敵だ」と言った生徒たちなのに、どうしたことか、みんな、引き寄せられるように懐かしげに老人を取りかこみ、実に感動する光景が展開された。
 後日、分かったことだが、Yさんが生徒指導に悩んでいることを知った友人が、その人に頼んだとのこと。老人の彼への教えは一言
 「Y君、あせっては駄目だよ」
と。彼は私に
 「私には、心から尊敬する恩人でした」
としみじみ語られた。
           ◇       ◇       ◇
 帰途、バス内で友人の朝の言葉について考えこんだ。以前、電車の中で、母親に抱かれた幼児が私たちと一緒の尼僧さんを見てニコニコ笑ってイイお顔をして見せた。一人が
 「ご存じですの」
とお聞きした。だが、
 「知らないわよ」
とのご返事。
 それから数ヶ月後、善光寺さんのご開帳の帰途、長野地獄谷の温泉へ行った。まるで人間のように多くの猿が、ご機嫌さんで温泉に入っている。小猿が一匹入っていて、池のまわりに立っている人をグルグル見回していた。尼僧さんも何人か見ておられた。
 ところが小猿は突然池を横切って、私たちがご一緒の尼僧さんの一人を見上げつつ、着物の裾(すそ)を持ち数回トントンと引っ張ったのである。見上げている目の何と清らかだったことか。純粋な心を持つ生徒、幼児、小猿には構えのない真実の人を見ることができるのであろうか。
 白髪の老人とは中学校の校長さんであり、常に生徒と共に活動され「障害」児教育の第一人者、故米田進一先生である。見知らぬ幼児からイイ顔してもらわれ、小猿に慕われ裾を引っ張ってもらわれたのは奈良興福院、日野西徳明ご住職である。
 奈良でバスを降り、もう一人の友人(教師)とコーヒーを飲みながら、「いつも上段から構えている教師の気質」を取り除かねばとしみじみ語り合った。

平成6年(1994年)7月26日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第151回)

随筆集「遠雷」第60編

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