遠雷(第153編)

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終 焉

治多 一子

 バザーとなると目のない康子さん。
 「この間も、母校の文化祭に行って、バザーで、いい昆布買ったのよ」
と言った。文化祭のシーズンだなあと思いつつ、家に帰った。そして、友人と昨日採ってきた薬草を干していると、近くの学校の放送が耳に入った。
 「フォークダンスが始まります。みなさん参加してください」
と呼びかけている。こんな放送を聞くなんて、何年ぶりのことだろう。それが、ゆくりなくも遠い昔を思い出させたのである。
 秋の日の朝、図書館横の小部屋の戸を開けた。その部屋は図書係の職員室である。すでに館長も来ておられた。私が戸を締めてカバンを置くと、待ちかねたように、I先生は度のきついレンズの奥の、大きい黒い眼(め)で私を見つめられた。そしてニッコリ笑いつつ静かな口調で話しかけられた。
 「僕は、今日からクビですよ」
 朝っぱらから何を冗談にと思って、
 「先生、何をおっしゃる! 驚かせないでくださいよ」
と思わず言った。
 「本当ですよ」
と。あまりのことで私は館長の方に顔を向けた。館長は厳粛な面持ちで、
 「本当だよ」
と言われた。
 I先生は
 「僕とA先生、B先生、C先生の四人一緒にですよ」
とおっしゃった。先生のお話によると、進歩的な思想を持ち、それが生徒によからぬ影響を与えるという理由だそうだ。会議に同じように発言されるD先生の名前があげられないので、解せない思いをし、聞くと
 「D先生は違いますよ」
とぶ然とした面持ちで言われた。
 その日に、小部屋の私物をまとめて持って校門をあとにされた。私は黒い背広の後ろ姿をじっと見送った。あの四人の先生方を再び学校で見ることはなかった。
 それから長い年月が流れた。
 「D先生は違いますよ」
と言われたそのD先生が、ある年の四月校長先生となって来られたのである。先生は古巣に帰られ、大いに張り切っておられた。
 その年の秋、文化祭のクライマックスのフォークダンスが始まった。今日聞こえてきたように、マイクは全校生徒に参加を呼びかけていた。ダンスに弱い、人の足しか踏めぬ私はスタンドで見ていた。
 校長先生もサークルに入って生徒と一緒に踊っておられた。全く感動する眺めであった。
 だが、聞くところによると、その時すでに、教育汚職に関連して校長先生の辞任は決まっていたとのことである。
 その年度の卒業証書の校長名にD先生の名はなかった。先に辞めた先生方は、高校の先生、出版会社の幹部、県会議員、大学の先生にそれぞれなられたと聞いた。
 聞こえてきたフォークダンスの誘いの放送が、知る人もほとんど無くなった遠い遠い昔を思い出させたのである。

平成6年(1994年)10月4日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第153回)

随筆集「遠雷」第75編

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