遠雷(第156編)

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自意識過剰

治多 一子

 友達と婦人会の年会費を納めに行くと、
 「今からお薄いただこうと思っていたの、ちょうどいいから、いらっしゃいよ」
と、私たちがお茶お習いしている尼僧さまの、お誘いのお声。二人は早速お言葉に甘え、お部屋に入らせていただいた。
 先生は、かねてから足の神経痛のために座いすをお使になっておられる。
 お茶の道具をお取りになろうと、重心を移された拍子に、一体どうなったのか、突然座いすもろともすごい勢いで倒れられた。静かに歩く畳の上でさえ、ころぶはずみで骨折するというから、まして今のように身体が完全にねじれた状態で倒れられたから
 「ああ、骨折された!!」
と瞬間に思った。だが、体勢がくずれ、畳に激突される寸前に体をひねって完ぺきな受け身をとられたのである。
 「なんとすごい運動神経!!」
 全く驚嘆した。こと運動神経に関しては人後に落ちないと自負している私でさえも、とても、瞬間にこのように体をかわせなかったと思った。
 先生は体勢を整えられつつ、私たちに向かって
 「こうして、思いがけず助かった時は、いつも、仏様に助けていただいたと、感謝するのよ」
とおっしゃった。そして、にこやかな微笑を浮かべられた。
 ふと私は自分を振りかえった。道を歩いていて、路上に出ている石や、木の根につまずいても、倒れずに、うまく体勢をととのえたとき、
 「運動神経は優れているワイ」
と自己満足する。
 また、先日目測をあやまり、自転車ごとアスファルトの路上に横転し、左腰を強く打ち、その上続いて後頭部をも強打したから、その痛いのなんのと、しばらく立てなかった。交差点であったから、曲がって入ろうとしていた郵便局の赤い車が、倒れた私の頭の直前にあった。その車がスピードあげていたら、私は完全に一巻の終わりである。
 「私はついていた」
 「私は運が強い」
と思った。そして、神様、仏様に助けていただいたなどの発想は思いもよらないことである。
 お茶の先生が、
 「助けていただいたと、感謝するのよ」
とすぐさまおっしゃったときの、あの清らかな目の光を思うとき、私は身の程をわきまえることなく自意識過剰から知らず知らずに、おもいあがりがあるのだと恥ずかしく思っている。
 私と時を同じくして、同じように転倒した友の知人は病院に入院していると聞いた。

平成7年(1995年)2月7日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第156回)

随筆集「遠雷」第73編

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