贈られた本
治多 一子
仲間三人で並木道を歩いていると、なぜか突然、私は
「トセナオ…」
と言い出してしまった。歌好きな友が、
「春のうららの…」
と歌い出すみたいに。
一人がすぐさま
「なによ、それ」
と聞いた。私は
「東京、仙台、名古屋、大阪…」
と答えると、くだんの友は
「ああ、分かった、旧帝大のあるところネ」
と言った。彼女は進学指導のベテランだ。さすがに鋭い。
他の一人は、すぐ続いて
「県庁の所在地じゃないの」
と言った。地理が好きだったというだけにこれも鋭い。だが実際は、彼女たちの知るよしもないものの所在地なのである。旧陸軍師団の所在地の頭文字だった。
私はそれを小学校で授業時間中に教えられたのである。それが時々出て来るのであった。
その日帰宅すると、奈良高校で同僚だった多田先生から、本が贈られていた。「南国の白昼夢−ビルマ敗戦記−」である。
多田先生は、森狼一八七〇三部隊の所属で、その隊はビルマでの対機甲戦でかい滅。敵戦車と飛行機と迫撃砲に追われた転進(敗走)が記されてある。
迫撃砲のヒュルヒュルという発射音が聞こえるくだりは、私たちが空襲警報で真夜中に寮から学校の地下壕(ごう)に入ると
「あれは、焼夷(しょうい)弾の音よ」
と言った友の言葉を裏書きするようなシュルシュルという音が聞こえてきたのを思い出す。何度もくり返された空襲。とうとう最後に寮は全焼した。
その後、私たち数学科の者のみが、群馬県赤城山の麓(ふもと)に疎開した。午前中は授業、午後は農作業のあけくれである。相変わらずB29は飛来して来た。先生の文章の機銃掃射の部分で、あの恐ろしい日々が、またしても思い出さされた。
八月の初め、農作業をしていた時、突然飛行機が飛んで来た。友はどこからそんな情報を得たのか
「敵の航空母艦から、戦闘機が飛んで来ているのよ。かくれないと駄目よ」
と叫んだ。
みんな命からがら山道の傾斜を登り、岩陰、樹陰を探し、絶対に機上から見えないようにと地面に這(は)いつくばって身じろぎもしなかった。あの恐ろしさ。その晩、前橋市は空襲され、翌日の朝は眼下の前橋市は完全に焼きつくされていた。
こんな恐ろしい経験を絶えずしながらの先生は、敗走につぐ敗走だったのだと、しみじみ思い、なみなみならぬご苦労を思うとき、体調をくずし、今、リハビリに励んでおられる先生が一日も早く健康をとり返してくださるように心からお祈りする。
平成7年(1995年)3月21日 火曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第157回)
随筆集「遠雷」第72編
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