遠雷(第159編)

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椿

治多 一子

 新緑が照り映える参道を通り、お寺さんを訪れた。花好きな尼僧さんが、庭に珍しいのや、かわいい草花を植えておられて、いつも眺めるのが楽しい。
 中に入らせていただいた。正面に生けられてある花に目が止まった。
 「アレ、何の花かしら」
 まるでミニの芍薬(しゃくやく)のようで、白い大きな花弁、淡いピンクの色のついたのが一、二枚混じっていて美しく、気品がある。じっと見ると、それは椿(つばき)の花であった。
 「何という名前の椿ですの」
とお聞きすると、
 「米川さんが植えてくださったのですけれど、名前が分かりませんのよ」
 米川さんは「日本松の緑を守る会」の役員をしておられ、また熱心な椿の研究家で、奈良の三名椿…白毫寺の「五色散椿」、東大寺開山堂の「のりこぼし」、伝香寺の「武士椿(もののふつばき)」について、観光の季刊紙にお書きになっておられた方である。
 私が訪れたK寺院は、椿のお寺さんと言ってもいいくらいに、ご本堂へ参る石段の左右の椿の生け垣をはじめ、あちこちにいろいろな椿が植えられている。
 私は落ちている実を見て、小学生の時、だれが言い出したか
 「椿の実で廊下磨いたら奇麗(きれい)になる、磨こう」
と話がきまり、古い木造の小学校の廊下を一列に並んで、せっせと磨いたのを思い出してしまう。その校舎は、現在県立図書館が建っている場所にあって、既にない。
 米川さんは、お寺の椿を大切に思われたのだろう、時折、特別の肥料を施しておられたと聞いていた。私は、くだんの椿のあるところを教えていただき見に行った。お茶室への門のそばで、目立たないようにと考慮され植えられていた。樹には、数個の花がついている。
 生けてあったのもそうだが、今、精いっぱい咲いている花々を見ていると、それにこたえて、自然に心が和む。私はひそかに「微笑」と銘をつけた。
 米川さんは昨年亡くなられた。氏のお葬式は椿の寺、伝香寺で行われた。椿にご縁のあった方だったとしみじみ思う。
 一回忌の法要を親族のみで、お家でつとめられたともれ聞いた。
 K寺院で米川さんの花を切って、生けられた日が、たまたま法要の日であったと、お寺さんは後日聞かれたそうだ。
 椿の花を大切に思う、私心のない米川さんの誠意が、次元の違う働きをしたのではないだろうか。

平成7年(1995年)5月23日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第159回)

随筆集「遠雷」第71編

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