遠雷(第160編)

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女王の悲劇

治多 一子

 何からこんな話になったのか、友の一人が  「路地から出て来た犬が、前の信号が赤に変わると止まり、青になった途端、スタスタと歩いて路を横切って行ったのよ。賢い犬だったわ」
と感心して言った。
 と、もう一人が
 「ちょっと、私は阿呆(あほう)な犬見たで。赤信号なのにノコノコ歩いて行くのよ。そして道路の真ん中の黄色の線の上に、ドカッと座り、右の後肢で耳のそばをかき出したのよ。どっち行きの車も止まったわ」
 「よう轢(ひ)かれなかったわネ」
 聞いていた皆は、あきれてしまった。その場にいらっしゃった私たちの和歌の先生は
 「奈良公園に、鹿の女王がいたのよ」
とおっしゃった。そう言われれば、私もずっと以前に聞いたことを思い出した。一度も見たことがないが、頭の上の部分が白く、まるで王冠を戴いているようだったと人伝えに聞いていた。
 「春日大社の水谷川宮司さんが、とてもかわいがっておられたのですって」
 宮司さんは動物好きな方だったという。飼っておられたカラスのカアヤが、人語を解し、人の言葉が言えたと聞いた。
 「大分経(た)って、女王に子供が生まれたのですって。女王は、目に入れても痛くないというほどその子鹿をとてもかわいがっていたとのこと。ところが、その子が、車に轢かれて死んだのよ」
 「なんとマア、かわいそうに」
 以来女王は、来る日も来る日も、わが子が轢かれた所に来て、ジーっと立っていたという。わが子を失った悲しみに泣いていたのか、あるいは愛(いと)しのわが子に会えるとでも思ったのだろうか。
 ところが、ある日を境に、女王はバッタリ来なくなったという。そして、その消息を知る者はだれもなかった。
 先生はさらに
 「大分経って、女王はわが子の死んでいた場所で車に当たって、同じように死んでいたのですって」
 何と哀れな、悲しいことであろう。
 人の場合には、それは前世からの因縁なのだと聞かされるのだが……。もの言えぬこうした動物にもそんなことがあり得るのだろうか。
 私たちの和歌の先生はおっしゃった。
 「女王は、はく製にされ、在りし日の姿を留めていると聞いています」
と。

平成7年(1995年)6月20日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第160回)

随筆集「遠雷」第70編

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