遠雷(第161編)

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友の涙

治多 一子

 ずっと以前から右手首、左親指のつけねに鋭い痛みを感じていた私は、さらに右足関節に堪えられない痛さに歩行のつど、「痛い、イタタ…」の連発である。
 いつも明快な診断をされる外科の先生に見ていただくと、「リウマチ」と診断された。立ち居に不自由どころか、痛さで座りもできない。
 かねてから神経痛、リウマチに悩まされている親しい人に出会ったので、「私もリウマチになったのよ」と言うと、彼女の顔に、いまだかつて見せたことのない親しみをこめた微笑が浮かんだ。
 あんたもなってんな≠ニいうところだろう。
 「Tが年には勝てんな≠ニ言うてたで」
と私にチクってくれた人もある。
 のっぴきならぬ所用のため、痛い足をひきずり、友人の奈美ちゃんを訪ねた。痛くて、つい「イタタ」を自然に連発してしまう私。
 「リウマチだと、お医者さんに言われた」
といった。
 彼女は高血圧のため、もう二十年以上も薬を飲み、左足腰の神経痛で医者通い、リハビリにも行っている。その上、家の庭で転び左腕を骨折しギブスをはめている。
 そんな彼女だから、私が苦痛を訴えたので、きっと苦しむつれができたと、ニコッとするだろうと思った。立場が逆だったら、きっと私はそうしている。だが違った。
 彼女は目に涙さえ浮かべて
 「元気なあんたが、そんなになったと思うと悲しいわ」
と言って歎いてくれた。その涙を見て、遠い昔のことを思い出した。
 私は、幸子さんに入試に合格したことを報告した。京都府の農村から奈良の女学校に来ていた彼女。幸子さんは四年制の上級学校へ行きたがっていたが、当時は女学校へも級で一人か二人しか行かなかった時代である。とても叶わぬこととて、二年制の京都の女子師範学校を受験したのである。
 自分の行きたい学校で、しかも東京まで行ける私に、真底喜んでくれた。立場が逆だったら、私は、ねたましく、憎たらしく思ったに違いない。だが彼女は違っていた。私の手を取って
 「あんただけは、入ってほしかった。本当によかったわネ、おめでとう。おめでとう」
と、まっ黒の瞳(ひとみ)に涙を浮かべて、喜んでくれた。
 以前、お茶の先生が
 「あんたは、つまらない人間だけど、友達には恵まれているわネ」
とおっしゃった。奈美ちゃんといい、幸子さんといい、わがことのように思ってくれる素晴らしい友に恵まれたことを有り難いと思う。
 何年も経って、私は幸子さんの娘さんを、奈良高校で教えた。不思議なご縁だった。

平成7年(1995年)7月25日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第161回)

随筆集「遠雷」第63編

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