スリップ
治多 一子
いつものように、私は道端の空き地に車を置いた。車から出た弘美さんは
「この間は、本当に助けられたわネ」
と、しみじみ言った。全く同感である。
先日、私たちは秀子さんの車で薬草採集に来た。彼女は考えた末、車をいつもより前方に置いたのである。
採集し、帰る段になり、秀子さんが車を道に出すために、バックしようとした。だが車はスリップするだけで、踏み込むほど、激しく空回りし、ついにはめり込んだタイヤが土にすれて、煙まで出る始末。バックするどころか車は徐々に、前方にずれて行く。前は川である。彼女は
「ちょっと代わって運転して!!」
と二人に言った。だが、こんなむつかしい状態で交替できるものでない。私たちは困り果て、ここを通る車の人を待つしかないと思った。とはいえ、吉野町入り口のこの鹿路(ろくろ)トンネルを通る車はほとんどない。私たちは祈る気持ちで、車の来るのをひたすら待った。
やっと紺色の車がトンネルから現れた。私は両手を合わせて拝んだ。止まったワゴン車から運転しておられた人が出て来て下さった。続いて走って来た二台の車から三人出て来て下さった。
牽(けん)引する大型の4WDのワゴン車でさえもスリップする状態で、四人の方たちが、四苦八苦しながら力を合わせ、やっと秀子さんの車を道に引き出して下さった。涙が出るほどありがたく心から感謝した。
後日、私は弘美さんに、何十年も前に見て時折思い出す、四コマ漫画を話した。
一人の若者が広い水面を見ている。そして
「おーい、人が溺(おぼ)れているぞ」と叫ぶ。
仲間の若者たちが「男か女か」と問う。
くだんの若者が「女だ」と答える。
さらに仲間は「若いか年寄りか」ときく。
「年寄りだ」と答える。
若者たちが「ほっとけ」と言う。
そこで四コマ目は終わっている。
聞いて彼女は即座に
「あら、私たちはほっとかれる口ね」
と言った。
あの時まで、三台の車の人たちはお互いに見知らぬ人たちである。だが、私たちを助けるためにまるで、前からの知り合いのように、力を合わせ、一生懸命して下さった。途方に暮れていた私たちには、地獄で仏様にお会いした思いである。再び会うことのないあの方たちへのご恩返しは、三人が受けた親切をだれかにさせてもらうことであるが、力、技術のないわれわれには絶対不可能なことである。
できることはただ、四人の方への感謝の気持ちをいつまでも持ち続けることのみである。
平成7年(1995年)10月3日 火曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第163回)
随筆集「遠雷」第68編
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