A君は変わった
治多 一子
「もう学校は辞めたい」
と一人が言うと、
「僕も学校へ行くのはいやだ」
と答えている。
ふり返って見ると、二人とも知っている少年だった。一人は近所に住んでいる。もう一人の方は親御さんとは以前から昵懇(じっこん)である。だれかを待っているのか、単なる時間待ちか、先刻から私の後ろで立ち話をしていた。
どうやら話の様子では、いじめの話で、しかも二人ともいじめられているらしい。小柄のA君は中学でのいじめに耐えかねて気分一新するために私立の男子高校に行ったとのこと。いじめから逃避しようとして、わざわざ選んで行った学校でまたしても、いじめに遭っているとのことである。もう一人のY君も然(しか)りとのこと。
私は二人に向かって
「あなたたち、両親に話したらどうなの」
と言うと、二人は口をそろえて
「どうにもならないよ」
と言う。
「じゃ、学校の先生に言ったら」
と問うと、
「先生に言ったって、何にもならない」
と答えた。私は重ねて尋ねた。
「何か強い運動クラブに入って頑張ったら」
「クラブに入ったら入ったで、いじめられるし、勉強していい点取ったら取ったで、いじめられる」
と話す。
A君は
「死のうと思うこともある」
と言った。てんで話にならないと思い、
「じゃ、あなたたち一体どうしたらよいのよ」
二少年は顔見合わせ、悲しげに言った。
「ひたすら、いじめに耐えるしかないなあ」
この時、私は先年亡くなられたI先生からお聞きした話を思い出した。
一人の女生徒が同学年の数人の女生徒からトイレで便器をなめさせられ、また連中に校舎の屋上まで連れ出され、リーダー格の一人に、
「ここから飛び降り!」
と言われ、言われるままに、まさに飛び降りようとした寸前、さすがに見かねて一人が止めたという。女生徒は学校へ来なくなったと聞く。
二少年はまもなく、その場を去って行った。その後、しばらく少年たちの姿を見かけなかったが、今日、A君に偶然出会った。元気そうだ。
彼は開口一番
「希望を持ったらいいのです」
と言った。驚いた私は
「もう、いじめられないの」
と聞くと、
「いじめられています」
とケロッと言うのにあきれた。まるでいじめを問題にしてないと言わんばかりである。先だってのあの暗い陰うつな雰囲気が消えている。
「どんな希望を持ったの」
と聞くとA君は、
「僕は学者になるのだという希望です」。
そして、さらに明るく言った。
「希望を持てば、明日があります」
彼の言動は、いじめに打ち克つための方法を十分示唆するものだと思いながら、私はゆっくり街中を歩いた。
平成7年(1995年)12月26日 火曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第165回)
随筆集「遠雷」第64編
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