the history of FUNNY TOWN



〜21th Century〜


2001

〜2月〜
池田(Key)一身上の都合でバンド脱退を表明。残りのレコーディングには参加。

〜3月〜
合唱団パンダコンサートに3年連続で出演。
⇒今回さらに曲数が増えて、エンディングも含め5曲を演奏。
バンドオリジナル曲は“OSAKA FUNNY TOWN”を演奏した。
MC中に新澤、ストラップがはずれてギターを落とすという大ハプニング発生!

〜4月〜
高橋転勤、同時に新居へ移る。中川も転勤。

※この頃の練習は、レコーディングの続きとライブに向けての練習。

〜6月〜
次のライブの日程が8月に決定。
あまり練習時間がないので、とりあえず今までの曲をひととおりさらってやることにした。

〜7月〜
巽家に待望の第一子誕生(女の子)。
この出産に関しては、榛原町のさまざまな方面(特に駅前の「みーちゃん食堂」)で話題となった。
    新澤、油絵でついに入賞。東京での表彰式に参加。
    中川、二世帯住宅新築決定。着工へ。
    高橋、人生初の人間ドック体験。結果は・・・総合判定「D」。原因はやはり骨密度だった。

〜8月〜
奈良市「Y&Y」にて2バンドでライブ開催。
⇒50人ほどの客を集めた。
暑いステージで、汗だくになりながらのプレイとなったが、客の反応はよかった。
しかし、メンバーは演奏面で反省することしきり。
ただ、ライブハウスに対しては好印象を持った。(PAなど応対がよかったため)

下旬、バンドコンテスト応募用の曲レコーディング。
最後の仕上げは高橋の家で行った。

〜9月〜
ついに念願のホームページ開設!
(4日〜試験公開 6日〜本公開)

巽氏の友人テリー氏からの依頼で、巽&高橋、1ヶ月だけのユニットを編成。
そのユニットで11月4日大宇陀町かぎろひホールでのロビーコンサートに出演が決定。
巽曰く「メンバーで東洋人は巽&高橋の2人のみ。」
高橋の英語力に不安が・・・。はたしてメンバー間での意思疎通はできるのか?

〜10月〜
巽&高橋、毎週水曜日の夜は桜井で練習。(11月4日に向けて)
さすがにだんだんキツくなってきた。(睡眠不足と仕事の忙しさのため)

27日の練習にジョニーが新キーボーディストを連れてくる。
やる気満々の彼女を迎え、レコーディングにもがぜん熱が入る!

新生FUNNY TOWN(ver.3)活動開始。
【中川(G&V)・新澤(G&V)・巽(B)・辻川(Key)・高橋(Dr)】


〜11月〜
4日巽&高橋、大宇陀町かぎろひホールロビーコンサートに出演。
まずまず好評であった。2人ともいい経験をしたと妙に納得!?

〜12月〜
2日レコーディングがようやく終了。
2年がかりの作業になったが、これでなんとか年を越せる事に…。
(29日の忘年会で完成披露予定。)

12日メンバー全員と新澤の同僚、高橋嫁で奥田民生コンサートへ行く。
奈良100年会館2階席にずらっと8人で陣取る。
一杯ひっかけてきた新澤、テンション高すぎ。(叫びまくりで民生にたしなめられる)
一人感激のサード、いちばん近くからじっと民生を見つめる。
風邪ひいてるのに来たモルダーは途中からへたりまくり。
終了後、竹の館でおでん食いまくり、一同大満足!

23日、コージーの大学時代所属サークル(吹奏楽)の定期演奏会にモルダーが聴きに来る。
「これが義理人情っちゅうもんじゃ!」と豪語するモルダー。義理人情を教えられたコージー。
えらそうだった割には慣れない一人での行動におどおどするモルダーであった。

29日、Roswell&FUNNY TOWN合同忘年会。FT営業部長&人事部長も初参加。
榛原駅前「みーちゃん」にてクエ鍋とぼたん鍋を堪能。
のち、お約束のカラオケへ移動したものの、サード一家&コージー夫妻途中退席。(コージー腹痛)
その他メンバーは午前2時ごろまでがんばっていたらしい。ジョニーはやはりデロンデロン。