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"SWING ADDICTION"
<REPORT-PART.2>
by 田家秀樹

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 GLAYと氷室京介にはいくつかの年代的な共通項がある。それはもちろん偶然だ ろう。とは言うものの、それぞれの歴史を重ね合わせた時には、それだけに留まらな い何かが浮かび上がってくるように思うのは僕だけだろうか。
 氷室京介がBOOWYを解散してソロになったのは1988年のことだ。この年、高校 生だったTAKUROとTERUがバンドを結成、GLAYの第一歩を踏み出している。二 人が、バンドを組もうと思った背景にBOOWYの存在があったことはすでに知られて いる。つまり、それぞれのキャリアを同じ時に始めていることになる。もちろん立ってい る所は遙かに違う。GLAYにとって氷室京介の背中は地平線の彼方にあっただろう し、それこそ雲の上の存在だったに違いない。でも、同じ時に新しい歴史を始めたこ とには間違いない。
 いくつもの符丁がある。95年、GLAYがメジャーデビューした年は氷室京介が自分 のレーベルを作りレコード会社を変わった時だ。そして、彼がアメリカで本格的な創 作活動を始めた年でもある。GLAYがライブの動員記録を樹立した99年に氷室京 介は「究極の自分の音楽」と表したアルバム「I・DE・A」を発売している。  それぞれのターニングポイントの一致。それでいてお互いが見ているものは同じで はなかったように思う。すでに触れたことではあるが、「REVIEW」が500万枚という 当時のアルバムセールスの記録となった時もTERUは「俺達の中には数字じゃ絶 対に越えられない存在がいる」と発言していた。その存在こそが氷室京介だったの だと今、改めて思う。

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