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"SWING ADDICTION"
<REPORT-PART.2>
by 田家秀樹

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 この日がついに来た--。「SWING ADDICTION」の話を耳にした時、そう思 ったのは、そうやって自分の道を歩いてきたそれぞれにとってある種の必然だと思っ たからでもある。ただ、それは、GLAYが"追いついた"とか"並んだ"というようなこと ではない。音楽は徒競走のように競い合う類いのものでもない。
 "成長と成熟"、とでも言えば良いかも知れない。
 GLAYにとっては"成長の証"ということだと思う。

 仮にGLAYが20代の時にはこうしたコラボ企画は成立しなかったに違いない。彼 らが20代に見せてくれた"バンド少年の夢のドラマ"は、すでに氷室京介にとっては リアルではなかったのだろうし、単身アメリカに渡って創作するという氷室京介の孤 立無援の戦いは、GLAYにとっては土俵が違っただろう。
 2000年代に入って、GLAYはすでにそこに向かって歩き始めていたのだと思う。 幕張の20万人コンサートの後に彼らが求めていたのがそれだったのだろう。少年の 夢は終わっても音楽人生は続いて行く。求めるビートは永遠に存在する。バンドの 力量は確実に高みに登って行く。その中で生まれるロックとは何か。氷室京介がす でにそこにいたということではないだろうか。
 氷室京介は、こうしたコラボ的な企画に一線を置き続けてきた。それは彼の中の 音楽的潔癖さゆえだろうし、オンリーワンとしての自負であると同時に日本の音楽状 況への幻滅や不信の深さでもあったのだと思う。自らのバンドに端を発したブームに すらクールな距離を持ち続けてきた男だ。このコラボは彼の中で、新しい"成熟の扉 "を開けたのではないだろうか。
 「ANSWER」は単なるリスペクトの産物ではない。もちろんGLAYだけではなく双方 の大前提にそんな気持ちがあってこそ成立しているものの、「一緒にやれて光栄で す」という次元に留まっていない。80年代以降のロックシーンのオリジネーターと、そ こから始まった次世代のバンドがそれぞれの立脚点を踏まえつつ、2006年のロック を完成させた。それは世代を超えた堅い絆に結ばれた同志的共闘のように聞こえる 。そういう関係が生まれたこと自体が日本のロックにおいての一つの「ANSWER」 だと思う。

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