>>vol.1
1994.12.24(Sat.) | 今日は何もなかった…。この日をまったく一人で過ごしたのは生まれて初めてだと思う。 |
1994.12.25(Sun.) | クリスマスの雰囲気を満喫するためにショッピングに出かけることにした。一人で歩いてるのは僕ぐらいで、原宿の大きなツリーの横では コーラス隊が「きよし、この夜」を歌っていた。しばらくそれを聴いていたら、クリスマスを満喫できた気がした。こんな日は早く帰って寝るべし。 |
1994.12.27(Tue.) | ルナシーの武道館を観に行く。そういえばライブに行くのは春に演ったBODYの渋公以来である。でも、モダンチョキチョキズを観たっけ。なのに、 ファンレターを読むと僕はどうもいろんなライブで目撃されている。どうやら、もう一人僕がいるらしい…。そして、今から思えばこの日から悪夢は 始まっていたのだ…。この日は少し喉が痛かったので、念のためマスクをして行ったけど、ここ何年も風邪を引かず、がんばってきた自信がある僕 としては、今日一日で治ると思っていた。 |
1994.12.28(Win.) | 目覚めると治ってるはずだったのに…。一日寝ることにした。 |
1994.12.29(Thu.) | 昨日より悪い…。熱い風呂に入って、薬を飲んで寝た。 |
1994.12.30(Fri.) | ほとんど良くなっていた。良かった。なんとか年を越せそうだ。 |
1994.12.31(Sat.) | 朝、25日に買った家具が届いた。嬉しくてしばらく裸足で(寝起きだったから)眺めていた。この時、ゾクッとくる何かがあったのだが、すっかり体調の 良い僕は気にせずにベッドに戻った。ところが、次に目覚めた時、体温計は勢いよく駆け上がり人生で最悪の年越しになってしまった。 |
1995. 1. 1(Sun.) | 0時をまわってすぐに、サクラからさっそく「あけましておめでとう!」と電話がかかってきたが、サクラには悪いがそれどころではなく、とっとと電話を 切ってやった。この日、熱はさらに上昇し、元旦の夜中だというのに病院の世話になってしまった。 |
1995. 1. 2(Mon.) | 高温のなか見る夢はろくでもない。それでも眠り続けた。 |
1995. 1. 4(Wed.) | まだ体温計の赤いラインは長く、大幅に作詞のスケジュールが狂ってしまいました。ご飯をつくるのがやっとでしたが、体調も戻り始め6日あたりから 作詞を始めたが、気がつくと「最悪だ」が口癖になっていた。 |
1995. 1. 9(Mon.) | 年始のお仕事です。サクラとFM富士の収録にいく。人に会うのは今年初めてでしたが、DJの長谷川さんとは何度かインタビューでお会いしたことが あるので、気楽に話せました。収録が終わるとDIE IN CRIESのKYOさんがいて、「今度CDあげる」と言ってたけど、本当かなあ。そのあと『アリーナ 37℃』の取材をメンバー全員でして、夜遅くまで「Ciel」0号のミーティングは続いたのであった。 |
1995. 2. 5(Sun.) | 一ヶ月近く日記を書いていなかった。まあ、三日坊主ではなかっただけよしとせえ。1月9日以降の日々を思い起こすと、1月11日(水)、アルバムの 作曲と、コンサートのリハーサルが始まった。 1月17日(火)、僕の絵描きの友達が、「今、横浜の美術館にある絵はいいから、ぜひ行こう」と誘ってくれたので、リハをさぼって見に行った。でも、 美術館の前は人っ子一人いなくて、「平居ちゃん、まさか休館じゃないよね?」なんてからかいながら扉の前へ行くと、そのまさかの休館日。中華街 で少し時間の早い食事をとって帰ったのだった。この日は例の阪神大震災があって、ファンの方に「実家の方は大丈夫でしたか」というハガキをたくさん 頂きましたが、全然大丈夫だったので心配なく。みんな優しいね。僕なんて大丈夫と決めつけて、1週間後ぐらいに電話する悪い人です。 1月18日(水)、コンサートのSEを作りにスタジオへ行く。今回、コンサートは会場の後ろにスピーカーを置いて、音が会場をグルグル廻ったりすることが できる(NKホールの時にこのサラウンドは出来あがった)ので、それに合わせたイメージを形にしていったんだけど、いきなり、その場で曲を作るのは初 めてだったから、自信がなかったんだけど、思ったよりずっと格好良くなったから、ますます自信をつけてしまった。へへへ。 1月19日(木)、『Time Limit!』の表紙撮影。夕方から始めたので朝方近くまでかかりました。 1月24日(火)、大阪交流センターでのライブ。この会場でサラウンドは出来なかったけど、羽が降るのはバックステージのコメットさんが口説いてくれた ので出来ました(羽もNKの時にしたかったのさ)。大地震のすぐ後のコンサートだけあって、せっかく「Ciel」の会員になったのに来れない人や、自転車を 使って来てくれた人などが大勢いたようです。来れなくても元気でいてくれればよいのですが。 1月25日(水)、インディーズ時代のホームグラウンド、ロケッツでのライブは本当にお祭り騒ぎで楽しかった。「デューン」で銀テープ代わりでみんなに クラッカーを渡したんだけど「Ciel」の会員だったら、もう少しタイミングを勉強しなくてはいけません。今回は60点というところかな。この後、バーへ行って ニコラシカというお酒を3杯飲んで、夢心地になりました。皆さんもお試しあれ。 1月30日(月)、渋公です。入りの時、ケンちゃんがテッちゃんのコスプレの人を本人と間違えて「おはよう」と言ったとか言わなかったとか。コンサートの 方は良い感じで終わって、ニコラシカなくても夢心地でした。今日はなぜかプレゼントが多かった。 2月4日(土)、渋公追加公演でした。みんなの声はすごいんだけど、なんかカラ回りしちゃったっていう感じでした。ちなみに、ケンちゃんは1曲目で足を くじいたのに、わかんないくらい元気で動き回ってくれたので、救われたって感じです。そして、デンジャー・クルーに入ってから、ずっと手伝ってくれてい たスタッフの藤島さんが今日で最後ということで、お疲れ様でした。また寂しくなります。そういえば、書き忘れてたけど、1月9日にKYOさんがくれると 言ってたCDは忘れずにちゃんと持ってきてくれました。さすが男魂アニキーズのボーカル。コンサートの方もひと段落したので頭のチャンネルを曲の アレンジに合わせて、おやすみなさい。 →1995.2. 1 Fun Club「Ciel」発足。 発足記念ツアー「Ciel/Winter'95」詳細:1月24日大阪交流センター/25日難波ロケッツ/30日渋谷公会堂 2月4日渋谷公会堂 |
1995. 2. 6(Mon.) | 起きた時から変だと思ってた。ああ神よ、私に免疫を返してくれ。また風邪を引いてしまった。それから6日間また寝こんでしまい、またまた最悪。年末 の風邪と同じ症状だったから慣れたものだったけど、熱が下がらないから食料を買いに行くのも大変で、孤独というものを思い知ったのであった。 |
1995. 2.13(Mon.) | 熱が下がったと思ったら、今日はNHKのポップジャムで歌を歌うなどというとてつもない仕事が、孤独で病におかされた僕を待ち受けていたのだ。 NHKの楽屋は何かと縁のあるシャ乱Qと一緒で、ボーカルのつんくさんが、「放送で使うから」と言って僕との共通項を探し始めました。関西出身という こともあっていろいろあると思ってたみたいだけど何もなくて、あったのは女性の好みぐらいで、放送見た人はわかると思うけど大変そうでした。でも、 それより問題は歌です。リハーサルでは泣きそうになってて、はっきりいって帰りたかった。本番は「頼むから声よ出ておくれ」と思いながら歌っていま した。やっぱり声は出なかったけど、あれでもまだマシな方です。顔は恐かったけどね。ああ、今年はいったいどうなるのか。Hydeでした。 |