南蛮壺

径 36.6cm 高さ 33.0cm

今どき大きな壺はほとんど無用になってしまった。 小さなものなら食卓や厨房の用具になるが、 大型の物はせいぜい花を生けるくらいしか実際の用はない。
質実を重んじ、実用性のない装飾品を厳しく退ける民芸派の指摘をまつまでもなく、 鑑賞の対象として作られる壺は、たしかに、存在の根拠が希薄で弱い。
だがしかし、古より、壺の用はものを蓄える容器というだけに限らないのだ。
壺がものを蓄える実用物であるのは、あくまで日常の意識世界においてである。 深層の無意識の次元では、壺などの容器は、母なるもの、太母の象徴として現れる。
「太母はその中にすべてのものを包含し、その中で変容の過程が生じる、という意味において、 何らかの容器によって象徴されることが多い。壺に目鼻を描いて、太母像として崇拝されているものもある。」 (河合隼雄)
つぼまった口の奥に広がる大いなる暗い空間は、たしかに、胎内、子宮を想わせる。 外からは窺い知れない神秘の次元が内部に広がり、すべてのものを育み、 またすべてのものを呑み込むかのようにも想えるのである。
古来、壺を作る精神の中には、太母への敬慕と畏怖が含まれていたであろう。
そして今なお壺に魅せられる意識の深層には、そうした精神が息づいているのである。


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