第1回は伊賀線です。現在の伊賀線は、伊賀上野〜伊賀神戸間16.6キロですが、昭和39年9月30日までは伊賀神戸からさらに西名張までの区間がありました。伊賀神戸より先は、美旗新田(みはたしんでん)、西原(にしはら)、蔵持(くらもち)、八丁(はっちょう)、西名張(にしなばり)の5駅がありました。今回は西名張から伊賀神戸方面に歩いてきましたので、その概要をレポートします。また取材に応じていただいた皆様、仕事の手を止めていただいた上に、親切にご教示いただいたことにこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。
■西名張〜八丁間
名張駅から歩いて約10分のところに西名張郵便局があります。ここが西名張駅のホームがあったところのようです。手前の道路は国道368号です。線路は写真で言うと左奥方向へ伸びていたようです。郵便局の周りを見てみましたが、痕跡は何も残っていませんでした。名張駅近くの食堂にいた女性もそう教えてくれました。昔は木材輸送の需要があり、国鉄へ乗り入れて貨物輸送をしていたという話も聞くことができました。実際この付近には数軒製材所があります。 | |
そのまま行くと国道は右にカーブしますが、線路は直進していたようです。なんとなく緑の軽四の止まっている道路敷きが廃線跡のように見えてきます。しかし線路跡は居宅に当たってしまうため、裏の方へ回ってみました。 | |
ちょうど裏の方は「朝日公園」になっていました。当然のように痕跡は何もありません。少々シラケムードが漂い始めます。しかしめげずに前進してみます。 | |
すると突然あぜ道にしては広すぎる道路が姿を現します。先ほどの国道とは平行しているこの道路、じっくり見ていくことにします。 | |
よーく見ると、角の取れた砂利が所々姿を見せています。バラストでしょうか。期待がどんどんふくらんでいきます。 | |
なんと!左側に近鉄の用地境界標がありました。廃線になったとは言え、その後40年間そのまま近鉄の管理下に置かれているのでしょうか。これでこの道が廃線跡であることは確定的になったと思いました。 | |
そのまま進むと、先ほどの国道368号に合流します。ここは「東町」交差点で、線路はこのまま直進していきます。この写真では少し見づらいですが、中央やや左寄りにローソンがあるのですが、この右側に不自然にカーブする路地が見えてきます。 | |
これがその路地です。少し右にカーブしています。このまま進むと、直感的に「ひょっとしてここは・・・」と思わせる空間が待っていました。 | |
何と!道路が二重になっています。線路跡は左側で、左奥に見えるベージュ色の建物が集会場となっています。ここが八丁駅跡とのことです。左の「徐行」と書かれた工事用の看板付近の草むらには道路と平行して水路が走っています。このあと、この水路にかかる枕木を発見します。 |