第1回 伊賀線 西名張〜伊賀神戸間

■■■ 八丁〜蔵持間 ■■■

八丁駅跡からさらに進みます。八丁駅はカーブしていたようですが、そこからは直線区間になります。右手の建物は三重県立名張高等学校です。さらにまっすぐ進んでみます。
交差点に出ました。線路はそのまま直進していきます。ということは、ここは踏切だったのかもしれません。右手の建物は「イトキン」です。ここまでは水路にかかる枕木以外、何も痕跡はありません。またこの交差点のすぐ先に水路に架かる橋が見えますが、道路橋でした。
上の写真で、中央付近の林の手前にこんな石造物を発見しました。ちょうどこの石造物をジロジロ見ていると、自転車で通りがかった初老の男性が話しかけてきてくれました。聞くと、上の写真の交差点はやはり踏切で、この石造物もその傍らにあったらしいが、用途までは覚えていないとのことです。八丁駅跡とこれから目指す蔵持駅跡の場所まで親切に教えていただきました。ちなみに向かって右に「町田」、左に「昭和三年八月」と彫られていました。
線路は開削区間に入りますが、しばらくすると両方向に田園地帯が広がります。もう少し進むと近鉄大阪線の架線柱も見え、大阪線と徐々に接近していくのが分かります。この途中にも数本の枕木が道路横に放置されていました。
「まもなく、くらもちぃー、くらもちぃー。」そんな車掌の声を想像しながら、歩いていると前方に古い倉庫が見えてきました。道路と水路の間の部分(未舗装の部分)、線路に併走していた農道だったのでしょうか。
ここが蔵持駅跡です。2棟の倉庫はJAの倉庫です。右側の木造倉庫はきっと駅のホームの裏側に位置していたのでしょうね。手前の駐車場は名張市の管理となっていました。ホームの痕跡などを探してみましたが、何もありませんでした。この古い倉庫と、次の交差点のところにある「春日神社」だけが当時のことを知っているのでしょう。
歩いてきた方向を向いてみました。道路部分の方が微妙にレベルが高くなっています。このスペースにホームがあったのでしょう。この駅の周辺にはあまり人家がありませんが、徒歩5分圏内に蔵持町里と原出の集落があり、蔵持小学校や公民館、郵便局も存在し、その昔はにぎわっていたのかもしれません。


次は西原駅へ向かいます。


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