第1回 伊賀線 西名張〜伊賀神戸間

■■■ 蔵持〜西原間 ■■■

蔵持駅跡からさらに進むと、左側に春日神社を見ながら現・桔梗が丘駅方向へ進みます。緩く左方向へカーブしていますね。このあと、大きな発見をすることになります。
橋が架かっています。少し古めかしい感じがしますが、道路橋です。前方には桔梗が丘駅が見え、ちょうど賢島行き併結特急(京都・難波発)が通過していきました。
この道路橋を見てみることにします。
おおーっ!よく見るとガーター橋でした。赤く塗装され、架け替えられたのかと一瞬思いましたが、古めかしいリベット打ちの鉄道橋です。対岸の橋台部分(擁壁)も時代を感じさせてくれます。ひたすら線路跡を歩いてきたのにもかかわらず、なかなか遺構が見あたらないなと思っていた矢先のことでした。せっかくなので、ここで橋を眺めながら名張駅前のコンビニで買った「助六弁当」をほおばりながら、しばしノスタルジックな気分に浸ることとしました。
線路跡は市道と合流します。しかしそのまま直進し、桔梗が丘駅構内へと続いていたようです。地図上でもそのようにたどるのが自然です。しかし伊賀線時代はこの付近に駅はなく、ほぼ直進していきました。この跡は国道368号を歩いていくことになりました。
桔梗が丘駅を過ぎると、車道脇に車止めがありました。よく見るとアスファルト舗装されており、左側の住宅地造成工事に伴って車道法線を振った跡でしょうか。しかし国道跡が線路跡だと思って歩いていると、妙なものを見つけました。この写真では中央付近にポツンと1本だけ立つ電柱付近です。
どう見ても築堤にしか見えません。何となくお分かりいただけるでしょうか。木々の生え方といい、40年の歳月を感じさせてくれます。脇に水路があったのですが、当時の遺構らしいものは草が多く、見ることはできませんでした。再度国道368号に戻ってみます。
しばらく歩いていくと、三重交通バス「西原」バス停があります。写真は歩いてきた方向を向いて撮ったもので、伊賀線はこの辺りで国道と合流するような感じの法線だったようです。現在は福祉関係の施設が建ち、遺構らしいものは何一つ見あたりません。線路跡はこの辺りで一旦途切れてしまいます。想定の範囲で周辺を探索してみましたが、見つけることはできませんでした。写真の反対方向は「西原」交差点で、線路跡は東(右)方向へ進んでいたようです。西原駅跡はハッキリとは分かりませんでしたが、「西原」交差点付近ではないかと思われます。


次は美旗新田駅へ向かいます。


Ruins of Kintetsuへ戻ります。