第1回 伊賀線 西名張〜伊賀神戸間

■■■ 西原〜美旗新田間 ■■■

「西原」交差点からは区画整理された水田が広がり、当時の面影は何も残っていませんでした。仕方なく、南西原の住宅団地を抜けると、目の前に再び近鉄大阪線が現れました。写真のこの道は廃線跡ですが、この直線区間だけで、両サイドは比較的新しい道路関連の構造物のコンクリートがありました。昔は廃レールで作られた陸橋があったらしいが、今では立派なコンクリート製の歩道橋(「宮の前橋」というらしい)に作り替えられていました。
上の写真からしばらく歩くと区画整理された水田がさらに広く広がり、線路跡はことごとく分からなくなりますが、遠くに水門が見えてきます。さらに近づいてみることにします。
おおーっ!(2回目)先ほどの水門の手前にガーター橋がありました。塗装は剥がれているものの、線路を引けばまだまだ使えそうな立派なものでした。ちょうど田植えの時期で、地元の方々は枕木が5本しかないこの鉄橋を歩いて渡っておられました。比較的高さもあり、私は敢えて渡りませんでした。
鉄橋跡から美旗新田駅方向を向いてみました。こちらも区画整理された水田が広がり、ここ以外の遺構は見あたりませんでしたが、周辺の水田には水路をまたぐ橋代わりに枕木が多用されていたのが印象的でした。地図を見ながら次の遺構を目指し、推測しながら歩いていきます。
やがて、「初瀬街道」の道路標識が見えてきます。すぐ脇には築堤の上に大きな石灯籠がありました。昔から旅人の目印としての役割をしていたのでしょう。その築堤の裏のあぜ道を進んでいくと、水田に突き当たり、先が進めなくなりました。線路跡はちょうどこの辺りになるはずなのですが、何も分かりません。写真でこのまま直進すると林の中に入ってしまうのですが、そこをのぞき込むと急に地盤が下がっていました。また不法投棄されたゴミが目に付き、諦めて先へ行こうとしたとき、近くに住む中学校3年生の少年に出会い、話を聞くことができました。すると「線路跡なら知っています、トンネルが近くにありますよ」との返事。無理を言い、案内してもらいました。このあと、衝撃的な光景を目の当たりにすることとなります。
おおーっ!(3回目)なんと、先ほど上からのぞき込んで見えたゴミはこれだったのでした。草が生い茂っていて上からは全然分からなかったのですが、急に地盤が下がっているわけがこれで分かりました。上の写真のあぜ道部分がトンネル部分だということになります。廃線後40年経過し、ついには目の前にゴミまで捨てられてしまった哀れなトンネル・・・。おまけに反対側は埋められてしまい、片側しかポータルがありません。トンネルは何を思うのでしょうか。
よく見ると、この写真では反対側が閉じられているのがお分かりかと思います。トンネルの構造は煉瓦製で、廃線後40年経過したとはいえ、破損もなく、きれいな状態で残っています。トンネルポータルには電気設備の跡も残っています。
トンネルから反対方向を向くと、このように線路跡がハッキリ伺えます。開削部分の法面には竹が生えてしまっていますが、このような状態がしばらく続いているようです。
しばらく進むと水路の構造物がありました。先ほどの少年に聞くと、ここから先は行ったことがないので分からない、とのことで再び上がり、元の道へ出ました。名前も聞きませんでしたが、あの時は本当にありがとう!!教えてもらわなかったらそのまま通過してしまうところでした。
さて美旗新田駅はトンネル付近とのことで、おそらくこの辺りではないかと思われます。名張市内で出会った男性の話では、線路の横にちょこっと土を盛ったような貧相な駅だったそうです。


次は伊賀神戸駅へ向かいます。


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