むらづくり推進委員会

むらづくり推進委員会     



むらづくりの生立ち

昭和53年に地域の都市化・混住化が進む中で関西文化学術研究都市構想が打ち出され、精華町も開発の中核地として対象地域となりました。北稲地区は、開発対象地区ではありませんが、京奈和自動車道のルートに予定されており周辺環境の悪化や開発地区と既存地区との格差が生じるのではないかと急激な開発の波が地区住民に対し不安を与えました。
以前から、機械の共同利用などでまとまりのあった北稲地区ではありますが「自分たちの地域を良くするのは、自分たちの手で」という気運が盛り上がり、区民集会などの会合を開くなかで、農業生産、農地の問題や農家の後継者問題など、自身の問題に加え、冠婚葬祭の簡素化、美化、緑化、交通問題、道路、水利問題など農家だけでは解決できない問題があり、非農家を含めた区民全員で取り組むことの必要性を強く出てまいりました。その結果、「むらづくりはみんなの手で ひとりは みんなのために みんなは ひとりのために!」をスローガンに掲げて、昭和61年に区長をはじめ区役員・農業団体・婦人会・長寿会・青年組織等の幅広い構成メンバー(25名)で組織した北稲八間区むらづくり推進委員会(以下「むらづくり推進委員会」という)を集落独自で発足されました。