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■能面について 能楽は600年以上の歴史を持ち、御囃子、面、装束等いずれも高い芸術性を示す、世界でも稀にみる芸術といわれています。 とりわけ面(オモテ)は演出の中心におかれ、能の最も重要な位置をしめています。 ■能面の特徴 能は一つの曲のなかで時々刻々に移り変わってゆく細かい人間の感情をおり込んでいるものが多い。 したがってそれに使用される面(オモテ)も当然その要求にこたえて、一つのものである時間にわたり感情の移行を表現できなければならず、ここに伎樂や舞楽あるいは狂言の面にみられない特色がでています。 もちろん面(オモテ)の本当の価値は,演者にかけられ、そこに所作が加えられてはじめて発揮されるものでありますが、もし能面の場合極端な表情に固定されていたら、いくら演者の動きが加えられたとしても、とうていその表情以外の感情を,表現することは不可能になります。 そこでこうした喜怒哀楽いずれの感情にも順応でき、しかも即応できるものとして,感情の高ぶりと沈滞の両極端の中間をとって、あの一見無表情とも見られる表情が考え出され、そしてこのことは必然的に面(オモテ)の大きさを,縮小し限定することになっています。 ただ普通能面というと、大方がすぐその表情をいわゆる無表情なものと考え,事実感情の整った顔立ちのことを,能面のような顔といっていますが、実は能面のなかでも、こうした表情のものはごく限られた面(オモテ)だけであって,多くのものはかなりはっきりと、感情をみせています。 能の動作はあくまで静かで、そして動きが少なく繊細であります。 だから面(オモテ)はそうした演者のわずかな動きにも敏感に反応して、意図する感情が十分に表現できなければなりません。 ■面裏の彫り 面裏の彫りも重要な部分となっています。 能面は翁をのぞいて,すべて演能の直前に鏡の間でかれられ、演者の気持ちは、その人物になりきっているはずであり,面(オモテ)をかけるため手にとればかならずその裏を見ることになります。 もしそのときに、美しく優しくあるべき小面や若女の面裏が粗雑であったり,般若や悪尉のそれがなめらかすぎたらどうでしょう。 演者の気持ちはそれを意識するかしないにかかわらず、統一を欠き沈静を乱されることになります。 若い女面の美しい仕上げなど,作者のこまかい心つかいがうかがえます。 表の表情と裏の感じはまったく車の両輪であってどちらが欠けても良い面(オモテ)とはいえません。 本当の上手な面(オモテ)にはこうしたところまで十分注意がはらわれています。 ■能面と狂言面 能面と狂言面は、まったく違った表情をしています。一つは悲哀をこめており、沈鬱であり、内面的であります。他はユーモラスであり、滑稽であります。それには演劇的・歴史的理由があります。能も狂言も、古代からの猿楽・田楽を媒介として創造され、それによって、古い伝統をもつ舞楽・伎楽とは別個のものになりました。室町時代のこの新しい演芸の創造のために、庶民芸能が強い媒体となったことは忘れてはならない大切なことであります。そこで能と狂言は、芸術として純化し体系化してゆく過程で併存しながら、別な領域を開拓していきました。つまり能は悲劇的プロットに、狂言は喜劇的プロットに、固定してゆきました。 面も、この歴史の流れのうちにあって、おのおの対照的な内容を荷っていきました。面打ち(面づくり)も観世清次、元清父子によって完成し、室町将軍の恩顧をこうむって、武家芸術して発展し、中欧都市の技芸家となってゆきました。二つの面を比較すると、能面が抽象的な表情をもって、一つの型をつくり出していくのに対して、狂言面にはなお田楽・猿楽の土の香が濃くまとっていて離れなかった。それは狂言の内容が、田夫の醜男・醜婦を主軸にしていたからにほかなりません。悲劇的な能面が、ますます都市芸術の造形を完成してゆくのに対して、喜劇的な狂言面が、健康的な庶民の笑いをうかべて、併存しているのであります。 ![]() ▲当サイトはリンクフリーです。 能面ギャラリー「吉見靖閑の幽玄の世界」 |