幕末の京都2
寺田屋
龍馬が伏見の定宿に使っていた寺田屋。
1862(文久2)年4月23日、薩摩藩急進派と真木和泉ら諸藩士や公卿が三十余名集まった。
島津久光は公武合体を唱えている慎重派であった。
久光は彼等を抑えるために奈良原喜八郎ら同じく急進派のものに使いをさせたのである。
言うことを聞かねば討てと言うことだった。
結果、話は着かず上意討ちの形で九名の死者が出た。これを寺田屋事件という。
薩摩藩では同士討ちというのは恥であると考え、次の日の内に寺田屋の修理させたという。
女将の名は「お登勢」といい、気っ風もよく、勤王の志士達の面倒もよく見ていた。
龍馬の妻になった「お竜」もここで下働きをしていたのである。

1866(慶応2)年1月22日薩長同盟が秘密裏に成立した。翌23日龍馬は寺田屋に戻ってきた時のことである。
寺田屋の前の船着き場当たりは伏見奉行所の者であふれんばかりになっていた。
「お竜」は風呂に入っていたが、外の気配に気付きそっと覗くと槍まで持った役人でいっぱいだった。
慌てて着るものも身につけず龍馬に知らせたという話は有名である。
このとき龍馬は初めてピストルで1人殺してしまっているのである。
大黒寺
寺田屋事件で亡くなった薩摩藩九烈士がここに眠っている。
墓碑銘は西郷隆盛が涙ながらにしたためたという。
お登勢さんの墓
大黒寺の向かい側に松林院墓地がある。
この中にお登勢さんの墓がある。
伏見区鷹匠町
伏見薩摩藩邸
「お竜」さんが裸で龍馬に危険を知らせた後、龍馬とその時話をしていた三吉慎蔵は役人の包囲網を突破して逃げた。
逃げ込んだ先は薩摩藩邸であるが、現在その面影はない。
この橋の向こう側が藩邸のあったところ。
伏見区東堺町
東山区清水三丁目(産寧坂)
河田小龍の墓
画家としてだけでなく知識人としても認められ、京都、大阪、江戸、長崎などに遊学した。
藩命によりアメリカから帰国した中浜万次郎の取調べを行い「漂巽記略(ひょうそんきりゃく)」としてまとめ、藩主容堂に献上している。
龍馬は小龍に師事して西洋事情を知ったのである。
立命館大学衣笠キャンパス内(等持院飛び地)
金戒光明寺
1862(文久2)年8月、会津藩主松平容保(当時26才)は京都守護職に任じられた。
11月24日入洛し、宿舎にしたのがここ金戒光明寺である。
京都ではこの名前を言ってもほとんどの人は知らないであろう。(黒谷さんと言えばほとんどの人が知っている有名な寺)

整然として規律正しい会津藩は入洛してもすぐに宿舎の金戒光明寺には入らず、御所近くの本禅寺に入り、ここで、礼服に着替えてから天皇にお目通りし、挨拶を済ませてから宿舎にはいるという。
会津藩が京都に入洛したとき京都の幕府に批判的な町衆も弛んだ旗本とは一味も二味も違う、頼もしく見え歓迎したのである。
京都守護職屋敷跡
京都守護職屋敷正門(移築)
会津藩戦没者記念碑

橋本左内邸

東町奉行所跡、西町奉行所跡
梨の木神社
猿ヶ辻
文久3年5月20日、姉小路公知は御所での会議を終え帰宅途中、猿ヶ辻にさしかかったところを、3人の刺客に襲われた。太刀持ちの金輪勇は逃げた為、公知は扇で応戦。
刺客は公知を切った後、逃げてしまった。
一緒に戦った吉村右京に連れられ屋敷へたどり着いたが重傷のため絶命。
現場に捨てられてた太刀が薩摩藩田中新兵衛のものと判明し逮捕するが、この刀は盗まれたものであった。
取調中、弁解もせぬまま新兵衛は切腹してはてた。
これにより薩摩藩は乾御門警備を解かれた。以後しばらくの間、京都の政界は長州藩が独占する事になった。
姉小路公知と玉松操の墓
猿ヶ辻のちかくの清浄華院には事件で亡くなった姉小路公知と岩倉具視の参謀、玉松操の墓がある。

姉小路公知は尊攘派公卿として活躍するが、勝海舟、坂本龍馬と摂海沿岸の警備を視察して以降攘夷の無謀さを知り、やがて周囲の過激尊攘派から開国派に傾いたとみられた。
上京区寺町通広小路上ル北ノ辺町
京都御苑内
大久保利通邸跡
大久保利通は公武合体の立場をとる藩とともに穏健派であったが、寺田屋事件、生麦事件、薩英戦争、蛤御門の変から第一次長州征伐へと進むなかで幕府の実体を知り、西郷と共に長州と和解して提携し、反幕派の形成を進めた。
慶応2年長州の桂小五郎らと薩長連合を結んだ。

翌3年王政復古、薩長両藩への討幕の密勅降下、王政復古の大号令などの過程で岩倉具視と結んで討幕への動きに指導的な役割を果した。


二本松薩摩藩邸
1866(慶応2)年1月21日、ここで龍馬立ち会いのもと、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎による薩長同盟が成立した。
上京区石薬師通り寺町東入る南側
上京区寺町通り清和院御門上る
左京区黒谷
明保野亭
司馬遼太郎氏の小説「竜馬がゆく」では「お田鶴」さまと竜馬が密会した料亭ですが、実際に勤王の志士達が集合していたようだ。
左は当時の明保野亭の入り口。 右は中の庭園と茶室。