『EDEN』〜episode2〜





「火遁!豪火球っ!!!」
どろりと纏わりつきそうなほど暗い森の闇を、突如現れた火球が真昼のごとき明るさで照らし出した。
「ぐわあ!」
真っ直ぐにこちらに突っ込んで来ていた敵忍の一人が火に包まれて倒れこむ。まったくどの世界にも迂闊な奴というのは居るものだ。こっちの失態も棚に上げて気の毒に思いながら、素早く自分の後ろの迂闊な奴の首根っこを掴んで飛退がる。いまのでこちらの位置は完璧に向こうに知れたはずだ。ああいう派手な技なら影分身に使わせて陽動するのが定石だというのにまったく。枝に飛び移ったカカシの、頭の上から声がした。四人目か。
「へっ、馬鹿ガキ、てめーらの動きは読んでるんだよ。」
「くっ、」
迂闊な奴と同比率で部隊には察しのいい奴が含まれてる…なんてことは随分後に知ったことだ。この時は唯、必死だった。ひと一人を掴んでの鈍る逃避行に、黒衣の男の鈍く光るクナイが迫る。
叩き落としてなおも闇を駈ける銀髪に信じ難いほど間の抜けた声が届いた。
「なーなーカカシー、いまの俺の豪火球見てくれちゃった?」
「………は?」
「いまの多分直径7・8mはあったと思うんだよなー。ふつーってさ、5mくらいなんだけどさ、まーなんつーの、俺のお前への愛が形になっちゃったっつーかな!」
「………。」
「んだよ、照れんじゃねーよ俺が恥ずいじゃねーかよ…ったくコレだからトゥーシャイシャイボーイはよ!」
「………オビト。」
「んあ?」
鼻でもほじりそうな勢いの能天気さで黒髪の幼なじみが自分の首根っこを子猫よろしくひっ掴む銀髪を見上げた。死神の鎌は二人のすぐそばまで迫っているというのに。
「秘策を思いついた。協力しろ。」



たかがガキ二匹。その小さな背中を追う男には軽すぎる任務だった。さっき火だるまになったあいつの馬鹿さ加減には反吐が出る思いだが仕方が無い。どこにでもどうしょうもないやつというのはいるものだ。この場で火遁なんぞをぶっ放しやがったあの黒髪のガキみたいに。この先には仕掛けてある土遁の罠がある。そこに追い込むだけの全くもって「簡単なお仕事」だ。ああ欠伸が出るほどの。
(それにしても…こんなとこで殺しちまうには惜しい別嬪だったな…あの銀髪。)
そのまだ細いばかりの背中を追いながら口角を上げる。まあそんなことは考えても仕方ない、自分に命じられたのは「鼠を殺せ」ということだけだ、「持ち帰る」権利など最初から持ち合わせちゃいない。小鼠たちに舌舐めずりをしながら印を組もうとした、その時だった。

その背中まで後少しのところで、枝を踏み込んだ銀髪がこちらに向かって身体を鞭のようにしならせながらぐるりと反転したのは。
「「は?」」
墨汁を溶かし込んだような闇の中、余りに間抜けすぎる二つの声が重なった。ぶん!と重さのあるものが風を切る音とともに銀髪が男に向かって投げた…クナイでも煙玉でも起爆札でもないその物体Xは白い手に掴んでいた……『仲間』。
「おおお!?ちょ、待てよカカシいいい!?」
「ふげあ!?」
完全に不意をつかれた男が黒髪の少年の頭突き(ゴーグルつき)に火花を散らして落下してゆく。ぱりん、とゴーグルのグラスの割れる軽い音が落ちてゆく闇の中に響いた。


「ばか!バカカシ!ばか、ばーか!」
「…あのね、悪かったって言ってんでしょ。それにちゃんと地面に着く前に捕まえたんだから文句ないでしょーが。」
割れたゴーグルを額に乗せて、涙のあとに目尻を赤く染めながら、カカシの横を駆けるオビトが唇を尖らせていた。もう先程の猫のように首根っこを抑えられた体制ではない。あの体制では自分がどういう「使われ方」をするかわからないことをさっき身を以て「学習」したからだ。
「そゆ問題じゃねーんだよ!!フィアンセ…いやちがう、仲間のことなんだと思ってんだ!!」
「ふざけてんじゃないよ!次が来るぞ!!」
「だーもう!!」
まるで地団駄を踏む勢いで大木の枝を蹴ったオビトが、カカシとは逆方向に跳躍した。
ここで分散するなと咎めかけた唇が止まる。キインと金属同士がぶつかる音がして見上げれば、カカシも感知しきれていなかった敵忍と刃を交わすオビトがいた。
鋭く繰り出される太刀を受けて、流して、クナイを突き込む動きに目を奪われる。そうだ、忘れていたわけじゃない、オビトは強い。状況判断能力が壊滅的に悪い…要するに全く空気が読めないことを除けば、あの「うちは」のなかでも指折りの実力者になるだろうとフガクさんのお墨付きなんだから。
わずかに雲間から漏れる月光に赤い瞳がぎらりと光った。
(アイツ…もう『写輪眼』も立派に使いこなしてる…)
そう、カカシが焦る理由はここにもあったのだ。自分には金がいる。金を稼ぐには少しでもたくさんの任務指名を受けることが大事だ。なにせ大戦などの非常事態でもなければ忍び里に依頼される任務の数は概ね決まっている。今は常にカカシと組んでいるオビトも最近活躍目覚しいとあっては、単独任務を任されるようになることも必定だろう。そうなればどうだ、『白い牙の息子 はたけカカシ』より『今をときめくうちはの御曹司 キラメキ王子うちはオビト』に任務依頼が殺到することは火を見るより明らかだった。

負けたくない。コイツにだけは。
巻物奪取任務中に道に迷って藪の中に潜んでる敵忍に向かって「あー、オッサン?ちょっとわりーけど道教えてくんねえ?」なんて肩を叩いたり、「くらえ!うちは最大の秘技!」なんて言ってくっさいオナラをひり出して自滅したり、撒菱の代わりに自分の食べたバナナの皮を置こうとする奴になんて、なにがあっても!岩に齧り付いてでも!ぜっっったいに負けたくなかった。

交戦する黒髪を横目で見ながら、後ろから振り下ろされた「鎌」を背中の忍刀で受け止めて跳びさがる。草を刈るための道具ではもちろんない。人の命を狩るための、半月刀ほどの刃渡りを持った鎌だ。そうだほうけている場合じゃない。今はとにかくこの包囲網を振り切らねば。
「へーえ、忍びにしちゃ珍しい『白い忍刀』だねえお嬢ちゃん」
「…っ!」
姿は見えなかった。ただ自分のすぐ後ろの闇から鼓膜をべろりと舐めるような声が聞こえたのみだ。答える義理はない。「嬢ちゃん」と呼ばれることに不快を感じないわけではなかったが、改めてそれを示してやる義理もなかった。
(声だけが近い…幻術の類か。)
「あっちのガキはさしずめ婚約者ってとこか…?ったくテメーら木の葉が馬鹿らしい事しやがるから、俺たちまで野郎同士でヌキ合わにゃならねえ。その点お前みたいなキレーなガキは早く『相手』を決めねーと危ねえんだってなぁ。じゃねえといいように寄ってたかって『オモチャ』にされちまうってか。」
よく喋る男だ。自分の優位を信じているからこそだろう。
ひゅ、と僅かに風を切る音だけを頼りに斬撃を左に躱す。今度は続けざまに打ち込まれる右の斬撃を。どうやら左右の手で2振りの鎌を操っているらしい。らしいというのは目を開けていても閉じていても変わらないくらいの闇の中だったからだ。攻撃を躱すうちに誘導されてしまったのか。荒い息を付きながら見上げれば、闇の中、僅かにオビトと対峙する敵忍の金属が触れ合う際に放つ火花だけが、遠い日の線香花火のように浮かび上がって見えていた。
もとより助けなど乞うつもりもない。
しかしこの時に気がつくべきだったのだ。自分の耳が一切の外界の音を聞かず、鎌を使う男の声しか拾わなくなっていたことに。
「そんなにあいつのことが気がかりかい?」
「…。」
「無視かよ。つれねえなあーお嬢ちゃん。これから遊んでやろうってのに?」
ざらりとカカシを取り囲む闇が動いた。ぺたりとつま先に小さな闇色の手が乗った。目を見開くまもなくぺたぺたぺたぺたと体が手の形に侵食されてゆく。もっと早く思い当たればと歯噛みしても遅い。声を聞かされた瞬間に自分は既に術に落ちていたんだ。
「う…ぁ、」
「いい声で誘うじゃん。」
塗りつぶされる。手の形の闇に。解術しようにもここまで深く侵食を受けてはもはや手遅れだった。
「じゃ、まず手始めにその白い顔拝ませてもらうとするか。」
『闇』に絡め取られた自分に向かってぬっと突き出された男の手が、顔の下半を隠す口布にかかった、その時だった。
「お〜〜〜れ〜〜〜の〜〜〜!!」
「は?」
「カカシに手ェ出してんじゃねえぞクソ野郎があああ!!!」

突如として闖入者に闇が破られた。氷を割るようにして頭から突っ込んできたのは、上方で交戦していたはずの。
「オビト!!?」
ごっ!!と鈍い音がして飛んできたオビトがオレを掠めて後ろにいた…そう実は後ろにいたのだ…術者に強烈な頭突きを食らわせた。悲鳴を上げる間も末期の捨て台詞を残す間もなく男が昏倒してそのまま闇の中に落ちてゆく。いやいやいや、なぜ頭突き?もっと格好良い術「うちは」ならあるんじゃね?
「遅くなっちまってすまねえ…カカシ。」
ふっ、とヒーローよろしくカカシに向き直ったオビトが涼やかに笑ってみせる。そういえばさっきも頭突きだった。もはやゴーグルはフレームを残して木っ端微塵だ(よく目に刺さらなかったな)。だらだらと額から流れる血が絶妙なアクセントでその笑顔を引き立てている。いや、それよりも何よりもカカシの目を奪う違和感があった。目が。巴紋を描いているはずの写輪眼が。
「オ……ビト、その目」
「お?なんだよオマエに向かって写輪眼回したりしねーぞ、安心しろ?」
「違うっての!形が」
「ん?」
「形が変わってるっての!!」
三つ巴の形が、鈎状に互いを掛け合うように絡む不思議な形に変化していた。
「ん?あ?これ?さっきの頭突きのショックで開眼しちゃったんじゃね?『万華鏡写輪眼』。」
「そんな簡単なわけあるか〜〜〜!!!」
カカシの叫びに森の向こうから「アオーン」と狼の遠吠えが答えた。
術者の能力が消滅したことにより、辺りに満ち始めたのは優しい月の光。白い剥き出しの肩にぽんとオビトの暖かい手のひらが載せられる。
「…なんにしてもさ」
赤い光はふわりとなりを潜めて、優しい、月光というよりは日差しの暖かさを思わせる黒い瞳がカカシを見つめて細められた。
「カカシが無事でよかったっつーかな。」
打算も計算も裏も表もない、ただ無事を喜ぶ無邪気な幼馴染の笑顔にとくりと心臓が音を立てた、気がした。
「…オビト。」
「ん?俺に惚れたか?」
そんなわけ無いでしょバーカ!!と言おうと口を開いたものの、言葉は喉で詰まるばかりだ。あれ?ちょっと待ってオレ、どうしちゃったっていうのさ。
ん?なんて笑いながら首を傾げる動作も何もかも、いつも自分を苛立たせるアイツそのものなのに。
「オレ…!」
やっと何か言葉に出来そうになって開いた唇が凍りつく。耳が拾ったのは僅かに風を切る音だった。オビトと交戦して、枝に引っかかった形のままで絶命したはずの敵忍が絶命寸前に放ったクナイの。
「オビト!危ない!!」

突き飛ばしたオビトがよろめいて、後ろの木の幹にゴン!としたたか頭をぶつける。
それが、オレが自分自身の両目でオビトを見た最後の瞬間だった。