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田村隆一詩集『緑の思想』

栗の木

そのとき
ジョージ・オーエルの『一九八四年』を読んだばかりの彼女が云った
 「お店の名前は栗の木がいいわ」
ぼくはグレアム・グリーンのスパイ小説『密使』に夢中になっていた
 「いやデイがいいよ 反革命と戦うために
  石炭を買いにイギリスヘ渡る
 『ローランの歌』の研究家Dがいいな」

ちいさな論争のあげく
DからDAYデイということになった

DAYは銀座裏の酒場バーの名前である
小説の題名でもなければ 孤独な中年男の頭文字イニシァルでもない

「そのとき」から七年たった
むろん、彼女もDAYもぼくの夢から消えてしまっている
四十歳の夢にあらわれるのは
一本の栗の木
十月の栗の実 あの
六月の栗の花の匂いだ

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