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田村隆一詩集『緑の思想』
緑の思想
それは
血のリズムでもなければ
心の凍るような詩のリズムでもない
ある渦動状のもの
あまりにも流動的で不定形なもの
なにか本質的に邪悪なもの
全世界の日没を乱反射するはげしい光彩
成層圏よりももっと高い所から落ちてくる
魂の重力
だしぬけに窓がひらき
上半身を乗り出して人間がなにか叫ぶ
なにか叫ぶがその声はきこえない
あるいは
その声はきこえたのかもしれないが
だれひとりふりむくものはいない
あるいは
だれかがふりむいたのかもしれないが
耳を異常に病んでいる人間は少いものだ
この世界では
病むということは大きな特権だ
腐敗し分解し消滅するものの大きな特権だ
「この世界では」というが
海と都市と砂漠でできている世界のことか
それとも
肉と観念と精液でできている世界のことか
きみは人間を見たことがあるのか
愛撫したことがあるのか
二本の脚で直立し
多孔性の皮膚でおおわれた
熱性の腐敗性物質
「愛」と一言ささやいてみたまえ
人間はみるみるうちに溶解してしまうから
「正義」と一言叫んでみたまえ
一瞬のうちに消滅してしまうから
かれらを蒸発させてしまうのはわけもない
一片の憐憫の心さえあればいいのだから
だから
足音をしのばせて墓の上を歩くこともない
もう悪い夢を見ることもない
全世界は炎と灰だ
燃えている部分と燃えつきた部分だ
部分と部分の関係だ
部分のなかに全体がない
いくら部分をあつめても全体にはならない
部分と部分は一つの部分にすぎない
「時」が直線状にすすむものとばかり思っていた
「時」の進行は部分によってちがうのだ
部分と部分とによってちがうのだ
あらゆるものがまがっている
梨の木の枝
蛇の舌
水平に眠っているものはだれひとりいない
球状の寝台の夢はまがり
球状の運河を流れて行く死はまがり
妊婦の子宮はまがり
胎児はまがり
「時」はまがり
球体のなかにとじこめられている球体
たえまなく増殖したえまなく死滅する
緑色の球体
浮遊しているが浮遊しているのではない
人間は歩いているが歩いているのではない
落ちてくるが落ちてくるのではない
部分的にはそう見えるだけだ
部分的にはそう感じるだけだ
部分的には部分を知るだけだ
眼をつむればそれがよくわかる
眼でものを見るということはものを殺戮することだ
ものを破壊することだ
一度でいいから
人間以外の眼でものを見てみたい
ものを感じてみたい
「時」という盲目の彫刻家の手をかりずに
ものが見たい
空が見たい
感情移入はもうたくさんだ
傷ついた鳩への
頭を砕かれた蛇への
同時代の美しい死者への感情移入よりは
やわらかい胸毛におおわれた鳩になることだ
夏草の上をなめらかに這う蛇になることだ
土から生れ土にかえる死者になることだ
もし人間の子がはじめて二本の脚で立ち上り
裸体のまま戸口の敷居をまたぐなら
眼のなかを飛ぶもの
紅色の渚から暗緑色の空間にむかって飛ぶ
光りのようなもの
もし人間に眼があるなら
ほんとうにものが見える眼があるなら
球状の子午線から
球状の窓から
球形の人間がなにか叫んだとしても
ふりむかないほうがいい
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