▲contents
田村隆一詩集『新年の手紙』

ある種類の瞳孔

五感が命じるままに
どこにもない場所まで歩いて行ってみたら
いいじゃないか

どこにもない場所が
空想社会主義者の頭のなかにしかないというのは
偏見もはなはだしい

五感が命じるままに
生きてみたまえ
指は泉を探りあてる
土からエロスと灰の有機物をつくり出す
あのいかがわしい聖なる秘密を
嗅ぎつける
血の匂いのする細い線
雪の上の汚れた部分
砂の上の単純な表音文字 波に洗われて
劇的な表意文字の消えざる一瞬に
どこにもない場所が
かろうじて存在する

消え失せない足跡や言葉を
信じないほうがいい
眼に見えないものを見る
あれは撃鉄をひいたことのない
群小詩人の戯言たわごと
眼に見えないものは
存在しないのだ

五感が命じるままに
ためしに歩いて行ってごらん
針の穴のように小さくなったきみの瞳孔が
きみの沈黙をまるごと受けいれてくれる
どこにもない場所なのだ

previousheadnext
Copyright(c)1996.09.20,TK Institute of Anthropology,All rights reserved