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田村隆一詩集『死語』

ジム・ビームの思い出 恐怖に関する詩的エスキイス

北米中西部の冬の夜
サム君とぼくの詩の翻訳のことで話しあった
「恐怖の研究」
はじめサム君は恐怖を
horror と訳した
ぼくは fear に固執した
ふたりは
ジム・ビームという安いバーボンを飲みながら
horrorfear の語感と異義について
議論した
むろん サム君の日本語も
ぼくの英語も
恐怖について議論するほど巧いものではない
ジム・ビームがふたりの外国語の翻訳者になってくれただけで
horrorfear
いまでは大きな樫の木のある田舎町の思い出になってしまった

あれから七年たったが
たまにバーボンを飲むと fear の語感が
よみがえってくる
いま
辞典をパラパラめくってみたら
類語がたくさんでてくるではないか
dread fright alarm dismay terror panic ……
力は他者にむかって水平に働く
その力が科学とその組織をつくり出し
平和も戦争も死語にしてしまった
水平に働く力は
人間の言語を死語にするのだ
美しい死語に
言語はたちまち抽象化されて
記号になる
この過程にもし fear があるとするなら
人間の五感ではとらえられないところに
言語は結晶化されて
透明になって行く そして記号が記号を産み
その増殖作用によって
ぼくは「ぼく」でなくなるのだ
その結果として
 horror があらわれる
 horror の効果があらわれる
 horror の効果を精密に計算する集団があらわれる

力が自己にむかって垂直に働くとき
ぼくは夢からさめる
あるいは
あたらしい夢
創造的な fear の世界に入って行くことになる

窓の外を通るものはだれか
恐怖を horror と訳すサム君か
fear に固執する七年まえの「ぼく」か
ジム・ビームを
もうずいぶん飲まない

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