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田村隆一詩集・補遺

腐敗性物質

魂は形式
魂が形式ならば
蒼ざめてふるえているものはなにか
地にががみ耳をおおい
眼をとじてふるえているものはなにか
われら「時」のなかにいて
時間から遁れられない物質
われら変質者のごとく
都市のあらゆる窓から侵入して
しかも窓の外にたたずむもの
われら独裁者のごとく
感覚の王国を支配するゴキブリのひげ
われら
さかさまにしか世界を観察しない鳥の眼
やさしい殺人者の鳶色の眼
針の尖端にひかる歯科医の瞳孔
われら
蜻蛉の細い影
一枚の木の葉
一粒の小石
われらひとしなみ蒼ざめてふるえるもの
ふるえるものはすべて秋のなかにある
秋の光りのなか
流動する「時」と血のなか
涸れることのない涙のなかへ
すべてのものは行く
すべてのものは落下する
われら
ふるえるものすべては高所恐怖症
一篇の詩を読むだけで
はげしい目まいに襲われるものはいないか
一篇の詩を書こうとするだけで
眼下に沈む世界におびえるものはいないか
どんな神経質な天使にだって
この加速度は気持ちがいいにきまっている
天使の快楽はわれらの悲惨
精神は病めるもの
この暗い感覚の王国には
熱性の秘密がある
動かないもの
不動のもの
変化しないものは
この王国になにひとつとしてない
死者でさえ死にむかって動く
死にむかって変化する
死にむかって分解し溶解する
おお 瞬時に消えるもの
われら瞬時に消え
分解し
溶解するもの
だがそれは
変化のなかの変化にすぎない
それは変化ではない
真の変化ではない
 (岩がほしい
 変化に耐えて真に変化するものがほしい
 岩そのものがほしい
 その岩から
 岩そのものの声を
 生きているものの行為を
 野獣の性的な叫び
 ある夏の日の虫の翅音
 日と夜を裂く稲妻の光りが聞きたい)
地上には雨がふっている
都市 あらゆる都市の窓がしまり
愛も偏見もかたくなに口をとざしてしまう
沈黙が暗号にかわり
暗号がシンボルにかわり
シンボルがおびただしい車輪にかわる
戸口という戸口から
巨大な暗緑色の車輪がとめどもなくあらわれる
鉱物質の叫びは
雨のなかへ
雨は路上へ
路上には群衆が
群衆のなかの群衆が
いっせいに黒い蝙蝠傘をひらくだろう
いっせいに黒い蝙蝠傘をひらくだろう

はげしく回転する車輪の軸
その熱性の中心
おお その性的遠心力によって
ふるえるものはすべては秋のなかに
秋の光りのなかに
魂の色のなかに
われら盲いたるものすべては
落下する

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