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田村隆一詩集・補遺
肉眼論
この「場所」に、一歩足をふみ入れたら、その瞬間から、ぼくは耳を失った。舌も、鼻孔も失った。ぼく自身の感度の悪い目さえ失ってしまうのである。
一八六六−六七年制作の「妹マリー・セザンヌの肖像」から、最晩年の「中折帽子をかぶった自画像」(一九〇四−〇六年ごろのものと推定)にいたるまでの光と物質の油の世界は、ぼく自身から固有の目を奪って、肉眼の世界へ、ぼくを突きおとす。つまり、ぼくは、この「場所」に入るまで、肉眼でものを見ていなかったのだ。
ここでは、肉眼が強制される。なんという歓ばしい強制! その強制によって、ぼくは自由になる。ぼくの全身は肉眼そのものになる。どの空間からも、音がきこえてこない。「殺害」という初期の、ドラクロワ風の強烈な画面でさえ、叫び声は起らない、「ゾラの家での朗読」でも、言葉はひびかない。中期から晩年にかけての南フランスの風景画からも、木や草が空気にふれて、微かにそよいではいても、その音を聞くわけにいかない。まして、近代的な意識や観念が、この空間に入りこむ余地は絶無である。肉眼によってしか捉えられない世界こそ、プラトンを愛読した大画家の手が現出した「近代」そのものなのだ。
ぼくは、晩年の「人形をもつ少女」の前で立ちどまる。ブルーの色感が抑制そのものと化して「形」をつくる。その力が、ぼくの肉眼をつくる。なぜ、少女の左肩は下っているのか?
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