山城の蝶昔話 第三話
2011年10月25日更新

クモガタヒョウモンの奇跡



左:雄(採集地 綴喜郡宇治田原町)、右:雌(採集地 同左)(表示倍率は異なります)

クモガタヒョウモンの全国的な現状はよくわからないが、京都府ではかなり珍しい蝶なのではないかと思う。
現在はもちろんのこと30年以上の昔にもすでに珍しかったと思える。
大学時代には左京区岩倉で何回か出会ったことがあるが、一日に1頭見るか見ないかという程度の少なさだった。
ウラギンスジヒョウモンの惨状を考えれば、20年後に京都府に生息している保証はない。
今回はそんなクモガタヒョウモンが「いっぱい」飛び回っていたという話で、舞台は綴喜郡宇治田原町である。

綴喜郡宇治田原町は当サイトでは頻繁に登場する地名である。
蝶の産地としてはメジャーな場所ではないが、当サイトで長らくしつこく紹介している影響もあるのか、
最近撮影や採集を目的に訪れる人を時々見かけるようになった。
(学研の標準図鑑には宇治田原町産のクロヒカゲモドキが図示されている。)

私が宇治田原町を初めて訪れたのは1982年のことで、ある文献で見たギフチョウの記録がきっかけだった。
まず4月にギフチョウを探しに行ったところ、残念ながら全く見られず、生息していそうな雰囲気も感じなかった。
宇治田原町は山間部の町なので、自然が豊かというイメージを持ちやすいが、一概にそうとも言えない。
山林はスギやヒノキの植林地が多く、また宇治茶の産地であることから茶畑が非常に多い。
したがって、蝶の採集や観察に適した場所が意外に残されていない。
ただ、4月にあちこちをうろついてみて、初夏にもう一度来てみたいと思った場所があった。
何かとんでもない蝶がいるようないないようなゾクっとするような予感がしたのだった。
具体的には・・・
例えば、ヒメヒカゲとか。それにオオヒカゲは多分いるだろうとか、いろいろ思いを巡らしながら帰路に着いた。

そして5月末に再訪。
舗装された道を車で走っていると、妙に多くのヒョウモン類が飛んでいるのが見えた。
道路からは水田や畑を見下ろすことができ、その向こう側に川があり、さらに奥は樹林になっていた。
ヒョウモン類は水田の周囲を敏捷に飛び回っており、時々畦にあるアザミに訪花したりしていた。
当時はヒョウモン類の衰亡が現在ほど顕著ではなかったので、この光景にはそれほど驚かなかったが、
山城地域としては異例の密度の濃さであることは確かだった。
常に5、6頭が視界内を飛んでおり、色や飛び方から2種類くらい混じっているように思われた。
しかも、時期・色・大きさ・飛び方から考えてクモガタヒョウモンが混じっていることはほぼ間違いなかった。
これは稀に見る好ましい状況だなと思いながら、喜び勇んで畦道に降りていった。
アザミの花の所に行くと次々にオレンジ色の蝶が近づいてきてくれた。
まずはウラギンヒョウモン。なるほどという感じ。
次は色の薄いものを狙って採ってみると案の定クモガタヒョウモンだった。
山城地域では初めての本種があっけなく採れてしまった。しかもまだ周りに沢山飛んでいる。
このとき飛び回っていたのは雄ばかりで、残念ながら羽の少し痛んだものが多かった。
痛んだものは放してやったので効率は悪かったが、それでも10頭ほどを採集した。
この日は雄ばかりで雌の姿を見ることはなかった。川沿いのウツギにもクモガタヒョウモンが訪花していた。
結局クモガタヒョウモンとウラギンヒョウモンを「多数」と表現してよいほど多く見ることができた。
こんなに沢山のクモガタヒョウモンを見ることができるとは夢にも思っていなかったので大感激の一日であった。

この宇治田原町での多産地の発見は「宇治田原の奇跡」とでも言ってもよいくらいの出来事だった。
この日以来、年による個体数の変動は大きいものの「名産地」ぶりを発揮し続けてくれた。

それが1990年代の後半頃から随分少なくなったなと感じるようになり、とうとう出会えない年が出始めた。
「来年は出会えるだろう」と気楽に考えているうちに、それがいつしか毎年のことになり、
すでに「もういなくなったのだ」という現実を受け入れざるを得ない年月が経ってしまった。

旧クモガタの多産地1
かつて水田があってアザミがあってクモガタが飛び回っていた場所。(2011年7月)

旧クモガタの多産地2
草が生い茂ったり、藪になったりして以前の面影はない。(2011年7月)

最初の出会いの場所は現在人の手が入らなくなり、上の画像のような状態で進入すらままならない。
大変よく手入れされた耕作地だったのにどうしたというのだろうか?後継者がいなかったのだろうか?
どうしていつも良い蝶がいる所に限ってこのようなことになってしまうのかと泣きたくなる。

ただし、前回の宇治市のギフチョウと違って、クモガタヒョウモンには望みが残されている。根拠は次の通り。

1 ヒョウモン類は年による個体数の変動が激しい。
  全盛期には当地のクモガタヒョウモンはかなり広範囲で見ることができたので、
  少ないながら生き残っていて、条件が整えば復活してくる可能性は十分に残されていると思えること。

2 全盛期と比べてもさほど環境の変わっていないように見える場所が残されていること。

3 近接する和束町や南山城村ではクモガタヒョウモンが健在であること。

したがって、まだ完全には過去の産地になっていないのだと望みをつないでいる。
このような事情から、今回は具体的な場所をあえて明示しなかったことをお断りしておきます。

山城の蝶昔話 第二話
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